85歳 山村医療守り20年 故郷・宮崎県諸塚村の医師 黒木重三郎さん

「今朝は寒かったねえ」。笑顔で話しかけながら患者を診察する黒木さん=宮崎県諸塚村
「今朝は寒かったねえ」。笑顔で話しかけながら患者を診察する黒木さん=宮崎県諸塚村
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 九州山地の懐に抱かれる人口約1700人の宮崎県諸塚村で唯一の医療機関、村営諸塚診療所で中山間地医療に携わってきた村出身の医師、黒木重三郎さん(85)が今月で着任20年目に入った。「故郷に恩返しを」と福岡市近郊で約30年間続けた病院を人に譲り、65歳で帰郷。今では住民から「重(じゅう)先生」と慕われる。「あっという間の20年。体が動くうちは頑張りますよ」と、かくしゃくと語る。

 1945年8月、「国に命をささげる」と覚悟して陸軍の少年飛行兵となった15歳で終戦を迎えた。「生き残ったのは『余分の人生』。これからは人のために」と誓った。当時の農学校を卒業後に進学した農林専門学校をやめて普通高校に編入、九州大医学部を卒業して26歳で医師になった。67年、37歳の時に福岡県粕屋町で外科病院を開業したが、都心部近くでの病院経営は甘くなかった。次々に来る患者をさばくのが精いっぱい。「一人一人に向き合う時間なんてなかった」。経営のことが常に頭から離れず、「必要のない薬を処方していた」と悔やむ。

 「自分は人のためになっているのか」。終戦の年の誓いを自問する毎日。「やり直すなら今しかない」と96年11月に生まれ故郷へ戻った。「ここに来て、やっと心の平穏を取り戻せた気がする。患者の顔とカルテは、すべて頭の中にある。1人につきゆっくり15分は話せるかな」。余計な薬は努めて出さない。

 地域のために工夫も凝らす。2年前、一つのアイデアを実践に移した。診療所内に「地域住民医療相談室」を設置した。希望者は電話で予約し、待合室や受付を通らず、直接黒木さんに会って話ができる仕組み。もちろん無料。

 きっかけは、診療所外で見掛けた村民たちの井戸端会議。病気や家族、近所のことを気軽に話すのを見て、「こんな場が必要。聞きにくい情報も集めて、認知症患者の早期発見と治療につなげたい」と考えた。

 軽度の認知症は、進行を抑えながら地域で長く暮らすことが可能だ。一方、重症化してからだと遠くの都市部に入院し、故郷に戻れずに亡くなることもある。高齢化率が40%を超える諸塚村では大きな問題だ。相談室で認知症が疑われる高齢者を見つけ、医療、保健、介護などの診療所内外の専門家チームで早期治療に取り組めるようになった。

 黒木さんの最大の憂いは医師不足だ。全国的にも問題が深刻な宮崎県で、地域医療を担う市町村立病院の医師の不足率は本年度、29%に上る。19床ある諸塚診療所も7月から常勤医師が1人減り、2人となった。85歳の黒木さんも宿直の負担が増え、週に2回は当たる。日中の診察も忙しくなった。何より村内の訪問診療や相談室での対応がままならない。「中山間地医療に関心を持つ医師がいないものか。患者とじっくり話ができる地域医療の最前線は面白い。誰か来てくれないだろうか」。好々爺(や)の表情が切実になった。 


=2015/11/12付 西日本新聞朝刊=

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