山笠ニュース

【連載】赤手拭(てのごい)動く 博多祇園山笠<5>両立 祖父の思い継ぎ

2009年06月26日 11:34
母加代子さん(左)から亡き祖父の法被を着せてもらう石田茂孝さん
母加代子さん(左)から亡き祖父の法被を着せてもらう石田茂孝さん
 「焼酎のお湯割り、芋で」。10席の角打ちは、あっという間に満員となった。中高年のサラリーマンたちが店の奥に陣取る。若い女性の姿も。歩いて5分ほどしか離れていない中洲地区で飲食店が客離れにあえぐ中、西流冷泉町下の赤手拭(てのごい)、石田茂孝(32)=福岡市博多区祇園町=の店は活気に満ちている。

 つまみは200―400円が中心。生ビールを飲んで千円程度でも「ちょっと一杯」ができる手軽さが人気の秘密だ。不況に反比例して、売り上げは昨年に比べて2―3割増。2007年10月に実家の酒屋を改造してオープンした店は順調に船出した。翌年には念願の赤手拭に昇格、人生の節目が一気に訪れた。

 一人で切り盛りする店を「自慢の10席ですけん」と言う石田。一方で町でも赤手拭となり責任は増した。行事で店を空けることも多いが、頼りは母加代子(63)。祭り本番の7月1日からはほぼ毎日、任せることになる。母抜きでは店と山笠の両立は成り立たない。

 実は加代子の父、故深見甚平も「山のぼせ」。旧櫛田流から出ていたが、維持できなくなって以降は西流に参加。石田が山笠に出るきっかけは祖父の「うちから出しやい」のひと言だった。

 「おなかが出ていて締め込み姿が似合った。父は昔の男らしくて格好良かった」と加代子。深見は流の役員を務め、90歳で亡くなる晩年まで山笠に出続けた。ところが、子どもは3人とも娘。期待は孫の茂孝へと向けられた。形見の長法被も石田が受け継ぐ。「私も山笠の季節が来ると血が騒ぐ。息子を応援していきたいと思っとります」と加代子。まぶたの奥で2人を重ね合わせる。

 「祖父の思いも引き継いで舁(か)きたい。5年後の当番町へいい経験になれば」。石田の父方の親族も代々、地元祇園町が加わっていた旧岡流から出ていた。幾世代にもわたる血の流れが一つに重なり、7月15日のフィナーレへと駆り立てる。 (敬称略)

    ×      ×

 ▼幻の流 舁き山笠は戦後の復興期、1952年に14本まで増えたが、岡、浜、櫛田、呉服町などの流が人手不足や経済事情などで次々と姿を消した。福神流は明治時代に雷鳴を櫛田入りの合図の太鼓と間違え走りだし、騒動となったことをきっかけに不参加となった。


=2009/06/25付 西日本新聞朝刊=

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