元ホークス選手ら杉内を絶賛 引退会見

ソフトバンク時代、リーグMVPに輝いた05年の杉内
ソフトバンク時代、リーグMVPに輝いた05年の杉内
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 ソフトバンク・工藤公康監督「同じ左投手で体格も似ている投手。(自分と同じ)ダイエーの背番号47を背負って、強いホークスの礎をつくってくれた。彼を目標にしてきた子どもたちもいっぱいいるし、夢と希望を分けてくれたと思う。リハビリはつらかっただろうと思う。心からお疲れさまと言いたい」

 城島健司氏「電話で直接報告をもらった。彼が新人だった時代からずっと受けた投手。思い入れは強い。直球の質で言えば、自分が受けた中でもトップクラス。球速が150キロ出るわけじゃないけど、空振りが計算できた。自分の中では剛速球だった。WBCの結果が証明したように世界で通用した投手だと思う。また一人、福岡ダイエー時代から活躍した選手が引退する。寂しいね」

■理想、目標、ライバル、仲間…あそこまで意識した投手いない

 ソフトバンク・和田毅投手「プロで一緒の時間が長かったし、思い出がありすぎます。同学年で同じ左で背格好もほぼ同じ。僕の理想、目標、ライバルであり、仲間だった。後にも先にもあそこまで意識した投手はいない。今は素直に『お疲れさま』と伝えたい。印象に残っているのは2010年の優勝。スギとダルビッシュ(当時日本ハム)との投げ合いには、自分もしびれました」

■150キロ投げられないのに三振自分と何が違うのか常に参考

 新垣渚氏(現ソフトバンク球団職員)「体は決して大きくなく、150キロの球を投げられるわけではないのに、直球で三振が取れる投手で、自分と何が違うんだろうと常に参考にしていた。ワッチ(和田)と3人、同学年ということもあり、常に負けたくないという思いで野球をやれたことが自分の成長につながった。もう一回だけ、スギの投げている姿が見たかったというのが本音です」

 ソフトバンク・本多雄一内野手「中学からの先輩でホークスでもかわいがってもらった。杉内さんが投げる試合では、不思議とお立ち台に立たせてもらうことが多かったと思う。涌井(当時西武)と投げ合った2011年のクライマックスシリーズの姿を鮮明に覚えている。点を取られても顔色を変えず、精神的に強い方だった」

 同・長谷川勇也外野手「口数は多くなかったけど、試合にかける思いはいつも伝わってきた。背中でぐいぐい引っ張られた。スタミナもあって、精神的にもタフだった。熱さを秘めていて、見習う部分が多かった」

 久保克之・鹿児島実高野球部名誉監督「(11日に)電話で報告を受けた。残念やなと話した。高校時代はブルペンでは見栄えがしなかったが、終速が速い実戦型の投手だった。股関節を痛めた後、早く戻ろうと飛ばしすぎたのかもしれない。今後は野球界に恩返しをしてもらえればと思う。間違いのない人生を送ってほしくて、礼節を守ることなどを教えてきたので大丈夫だと思う」

■重工長崎元同僚らもねぎらう

 社会人野球の三菱重工長崎時代に、投手として杉内とともに2001年の日本選手権を制した三菱日立パワーシステムズ硬式野球部の後藤隆之監督(48)は「信念を曲げないプレーでチームの信頼を集めていった。野球に関してはとことんストイック。自分が満足するまでひたすら投げ続けていた」と振り返る。

 当時の監督だった林修治さん(62)=長崎市=は「しなるような腕の振りは別格で球がホップした。(日本選手権優勝は)彼との一番の思い出。お疲れさん」とねぎらった。 (西田昌矢、野村大輔)

=2018/09/13付 西日本スポーツ=

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