甲子園の中「央」立つ男に/ホークス1位・甲斐野央1

小学校時代、地元の少年野球団で投手を務める
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長男祐大さん(左)、次男耕一さん(右)に挟まれ笑顔を見せる甲斐野
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自宅近くで素振り
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ソフトバンク入団で合意し、笑顔でガッツポーズする甲斐野
ソフトバンク入団で合意し、笑顔でガッツポーズする甲斐野
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 今秋のドラフトでホークスは支配下7人、育成4人の計11人を指名した。3年連続日本一を目指すチームに加わる平成最後のルーキーたちを紹介する。

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 1996年11月16日、甲斐野家に誕生した約3300グラムの第3子は「央」(ひろし)と名付けられた。「名字の『甲』は甲子園、『野』は野球。甲子園の中『央』に立つような男になってほしい」。父有生は、自身が目指しながらも届かなかった「球児の聖地」への思いを息子に託した。

 物心つく前から、甲斐野を取り巻く環境は野球一色だった。9歳離れた長男、祐大が入っていた少年野球チームの試合を応援する母映子の胸には当時1歳の甲斐野が抱かれていた。3歳になるころには、父が自宅の庭に設置したネットに向けてティーバッティングするのが日課になっていた。

 本格的に野球を始めたのは小学3年のころ。祐大と7歳上の次男耕一がかつて通っていた地元の「黒田庄少年野球団」(兵庫県西脇市)に入団した。5年生で外野手のレギュラーをつかむと、6年では投手のほか、遊撃や三塁を兼任。クリーンアップを担うなど、中心選手として活躍した。武器だった強肩で、ソフトボールの遠投記録は約60メートル。県内で上位十傑に入った。

 その後、黒田庄中へ進学。硬式のクラブチームから入団の誘いがあったが、「少年野球団の仲間と一緒にやりたい」と同校の軟式野球部に入部した。ここでも投手と内野手を兼任したが、「小学校のころは他の選手に比べて球が速かったけど、中学ではそうでもなかった」と、絶対的なエースではなかった。3年時の2011年、Kボール(素材がゴムで大きさと重さが硬球と同じ球)の県代表「メジャー兵庫」のトライアウトに合格。ここでの出会いが甲斐野にある決断をさせる。

 チームのエースを任されたのは、今年西武からドラフト1位指名された同郷の松本航。「当時からすごい投手だった」。チームは全国大会を勝ち進み、決勝で対戦したのは新潟県代表チームだった。そこのエースは現DeNAの飯塚(15年にドラフト7位入団)。大会中、甲斐野には一度も登板機会がなく、決勝戦も4番一塁で出場し、2人の高レベルな投げ合いが異次元の世界に見えていた。「投げられなくて悔しいとかはまったくなかった。雲の上の存在って感じ」。そして決意した。「もう投手は無理かな。これからは野手として生きていこう」 (文中敬称略)

=2018/12/08付 西日本スポーツ=

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