王監督が舞った MVP工藤は球団不信でFA【平成11年のホークス】

悲願の初優勝を決め宙を舞うダイエー王監督。4月に急逝した根本氏の遺影も掲げられた(平成11年9月25日)
悲願の初優勝を決め宙を舞うダイエー王監督。4月に急逝した根本氏の遺影も掲げられた(平成11年9月25日)
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パレードで沿道のファンに手を振る秋山(1)、工藤(47)ら。FA宣言していた工藤には「行かないで」の声も飛んだ(平成11年11月7日)
パレードで沿道のファンに手を振る秋山(1)、工藤(47)ら。FA宣言していた工藤には「行かないで」の声も飛んだ(平成11年11月7日)
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 ソフトバンクが本拠地を福岡に移して30周年を迎えた。移転最初のシーズンは平成元年。弱小から常勝へと変貌した「平成のホークス」の歩みを振り返る。

 ◆1999(平成11)年=1位/78勝54敗3分け 勝率・591

 9月25日、王貞治監督が福岡ドームで初めて宙を舞った。球団33年ぶり、ダイエーとしては福岡移転11年目での悲願達成。歓喜の胴上げでは4月に急逝した根本陸夫球団社長の遺影も掲げられた。

 前年にオリックスと同率3位で21年ぶりのAクラス入りを果たしたダイエーは、確かな手応えとともに90年代最後のシーズンに臨んだ。エース工藤公康の11勝を筆頭に前年0勝の若田部健一が5年ぶりの2桁10勝で復活、2年目の永井智浩、星野順治もそろって10勝を挙げるなど先発陣を支えた。

 チーム防御率は移転後初の3点台。大きな力となったのが救援陣だ。吉田修司、藤井将雄、篠原貴行、加入1年目のペドラザでつくる「勝利の方程式」が大活躍。永井、星野と同期入団の篠原はオール救援で開幕14連勝の球団記録(当時)を樹立し、リーグ優勝を決めた日に14勝目を挙げた。

 右肩手術明けの小久保裕紀は苦しみながら4番の責務を全うした。7月を終えて打率1割8分9厘。4番起用に疑問の声が上がる中でも王監督は頑として外さなかった。その思いに応えるように小久保は8、9月と復調。2位西武に0・5ゲーム差と迫られて臨んだ9月11日の近鉄戦では決勝弾を含む2発を放ち、1安打完投の工藤とともにチームをよみがえらせた。

 中日との日本シリーズでは工藤が第1戦でシリーズ新記録の13奪三振で完封、1番に起用された主将の秋山幸二が決勝の先制ソロ。西武時代に何度も日本一を経験したベテラン勢が先導しチームは4勝1敗で頂点に立った。秋山は史上初の2球団でのシリーズMVP。11月に行われた日本一祝賀パレードには福岡市で約30万人、北九州市で約12万人が集まった。

 藤井が最多ホールド、篠原が最高勝率のタイトルを獲得し、最優秀防御率と最多奪三振の工藤が史上2人目の2球団でのリーグMVP。その工藤は新体制となったフロントへの不信感から日本一の余韻冷めやらぬ11月1日にFA宣言し、巨人へ移籍した。

=2019/02/14 西日本スポーツ=

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