20世紀最後にON対決 「炎の中継ぎ」藤井逝く【平成12年のホークス】

日本シリーズを前に握手するダイエー・王監督(左)と巨人・長嶋監督(平成12年10月)
日本シリーズを前に握手するダイエー・王監督(左)と巨人・長嶋監督(平成12年10月)
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平成12年10月7日、リーグ連覇を決め王監督とともに胴上げされる背番号15の「藤井人形」。藤井投手はこの6日後に死去した
平成12年10月7日、リーグ連覇を決め王監督とともに胴上げされる背番号15の「藤井人形」。藤井投手はこの6日後に死去した
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ダイエーで「炎の中継ぎ」として活躍した故・藤井投手
ダイエーで「炎の中継ぎ」として活躍した故・藤井投手
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 ソフトバンクが本拠地を福岡に移して30周年を迎えた。移転最初のシーズンは平成元年。弱小から常勝へと変貌した「平成のホークス」の歩みを振り返る。


 ◆2000(平成12)年=1位/73勝60敗2分け 勝率・549

 20世紀最後のシーズンに列島が沸いた。長嶋茂雄監督率いる巨人が4年ぶりのセ・リーグ優勝を決めてから約2週間後、ダイエーの王貞治監督が2年続けて本拠地で宙を舞った。日本シリーズ「ON対決」の実現が決まった瞬間だった。

 エース工藤公康が巨人にFA移籍した先発陣は若田部健一、永井智浩が軸となったがチーム最多白星は4人がマークした9勝。2桁勝利投手不在での優勝は2リーグ分立後初めての珍事だった。苦しい事情を支えたのは前年に続いて救援陣だ。吉田修司、篠原貴行、ペドラザに加え、戦列を離れた前年ホールド王の藤井将雄の穴を埋める形で34歳の渡辺正和がブレーク。39歳の長冨浩志とともに「中年の星」として注目を浴び、リリーフ陣の防御率はリーグで唯一2点台となる2・88を記録した。

 4番小久保裕紀の背中を追うように成長してきた松中信彦がチーム最多の33本塁打。城島健司、井口忠仁が故障離脱した穴は、坊西浩嗣、99年途中に中日から移籍した鳥越裕介らが埋めた。ペナントレースの正念場は9月1日。5連敗で首位西武とのゲーム差が3・5まで広がったダイエーは、本拠地に戻っての試合で鳥越が逆転2ランを放ち息を吹き返した。ここから破竹の9連勝で流れはできあがった。

 球団が福岡ドームに別のイベントを入れていたという不手際で変則日程を強いられた日本シリーズは、ダイエーが東京ドームで2連勝発進。移動日なしで福岡に戻っての第3戦、ダイエーは二塁・仁志敏久の好プレーで流れを阻まれた。ここから立て直せないまま4連敗。ON対決は長嶋監督に軍配が上がった。

 この日本シリーズ直前に、1年前から肺がんで闘病していた「炎の中継ぎ」の藤井が31歳で死去。ナインにとっては悲しみを抱えての舞台だった。秋山幸二が8月に北九州市民球場で通算2000安打を達成。パ・リーグMVPには松中が選ばれた。

=2019/02/15 西日本スポーツ=

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