2年ぶりの博多ライブに1500人

西日本新聞

1980年春に撮影されたシーナ&ザ・ロケッツ 拡大

1980年春に撮影されたシーナ&ザ・ロケッツ

 シーナ&ザ・ロケッツのリーダー、鮎川がステージから呼び掛ける。「久しぶりの博多やもん、思いっ切り騒ごうや」。この一声で福岡市民会館の千五百人の聴衆がワァーッときた。それでもう、ダンスフィーバーだ。ヤング連に交じって三十代、四十代の男女が、総立ちになって体を上下左右に揺らす。それも、秩序正しく。盛り上がったところでミニのシーナが登場して舞台はより華やかに。デビューして十一年、日本のロック界に一つの地位を築き上げたいまも、博多弁が少しも抜けない鮎川に「話ば」聞こうと、楽屋へ。

 -いつも、楽屋にはこんなに来客があるのか。

 私が久留米生まれで、福岡でロックばやって、シーナが生まれ育ったのが北九州の若松。福岡での公演が二年ぶりで、友人やら知人やらが、どんどん会いに来ようと。(インタビュー中に、鮎川は客の応対のため何度も中座)

 -「全国区」が定着しても、福岡には愛着が。

 三十まで福岡でバンドをやって、そのあと上京。それまでは東京なにするもんと思とったし、東京に住みついたいまも、基本的にはその気持ちは変わらんと。

 -それで、毎年、盆と正月は、必ず福岡に帰省しているわけ。

 東京で一度だけ、トシを越したが、味気なくて、一年損こいた気分になった。

 -種子島の若者との交流が続いているとか。

 ロケット基地が縁で、シーナ&ザ・ロケッツを呼ぼうということになったようやね。昨年から、夏になると種子島で若者たちとコンサートをやるようになった。

 -“大御所”からみたロック界の変遷ぶりは。

 大御所などと思ってもいないが、バンドもファンも変わったとは確か。奇をてらったメークと服装。いちがいに否定はできんが、肯定もできん。格好つけばっかりに走り過ぎのごたア。

 -ファンは?

 昔は、ロックを聴きに行くだけで、特別な目で見られた。もう、それだけで鍛われよった、と。いまは、みんな、大手を振って来るような感じ。まあ、いい時代にはなったとやろうが。

 -これからのロックは。

 聴衆のハートを揺さぶるような曲といい音。行きつくところは、これやろうね。昨年、ニューヨークで公演して、つくづく、そのことを感じた。

 -ニューヨークには、どのくらい。

 一カ月間いた。小さなクラブだったが、ちゃんとギャラをもらって、出演した。向こうの楽器なんて、もう古いもんで、性能は日本のものに及ばんかったが、ロックを楽しむ姿勢というか、心意気というか、そういうものがステージにビンビン伝わってきて……、勉強になった。

  ◇      ◇

 1978年、「涙のハイウエイ」でエルボンレコードからデビュー。79年ファーストアルバム「♯1」を発売。この年、細野晴臣と知り合いアルファへ移籍。ヒットアルバム「真空パック」を発表して人気上昇。シーナ&ザ・ロケッツの音楽こそロックの真骨頂との評価も。メンバーはボーカルとギター、鮎川誠(41)ボーカル、シーナ(36)ドラムス、川島一秀、ベース、奈良敏博。89年8月、最新アルバム「ドリーム・アンド・リボルト」をリリース。

=1989/11/02付 西日本新聞夕刊=

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