<7>モノクロ写真の物語 清陽軒本店(大分市)

西日本新聞

開店した1960年に記念撮影された写真。藤山正光さんの父菊平さん(後列左)と兄重利さん(後列中央)が収まっている 拡大

開店した1960年に記念撮影された写真。藤山正光さんの父菊平さん(後列左)と兄重利さん(後列中央)が収まっている

大分市大手町1の1の6。ラーメン480円、チャンポン600円、焼きそば530円。営業時間は午前11時~午後2時半、同5時~同8時半。火曜定休。097(532)6627。

 「もともとは支店よ。これは昭和35年の開店の時に撮ったんかな。これが兄でこっちがおやじ」。大分市の中心部、清陽軒本店の藤山正光さん(78)は一枚の写真を見せてくれた。看板には“清陽軒大分支店”と書かれている。よく見るとその下には“本店久留米 支店日田”と続く。日田にも支店があったらしいが、「兄が修業したのは久留米よ」。

 久留米の清陽軒といえば1952年に開業した屋台で、濃厚な豚骨で知られる久留米を代表する人気店「大砲ラーメン」のルーツの店である。当然、同じような濃厚で力強いスープを予想していたが、差し出された一杯は全く違った。

 若干白濁しているスープは透明感を残す。鶏がらも使っているのではとも思ったが「いや、豚骨だけですよ」。久留米らしさは中太麺とのりのトッピングくらい。一口すすると、最初はあっさりだが豚骨の風味がじわじわ後から追いかけてくる。チャーシューの味付けも薄味。優しく、懐かしさあふれる。しみじみうまい一杯だ。

    □   □

 藤山さん一家は大分県日田市の出身。「家族でできる仕事をしよう」とラーメン店の経営に目を付けた正光さんの兄重利さん(故人)が久留米の清陽軒に弟子入り。のれん分けのときに、既に支店があった日田を飛び越え「人口が多い」との理由で大分市を選び、父親の菊平さん(故人)とともに店を構えた。

 当時、大分にはラーメン専門店はなく、一日1杯しか売れない時もあったという。当初は久留米の味を再現していたが、受け入れられるように改良を重ねていた。そんな時、重利さんが体調を崩したため、東京でとび職をしていた正光さんが呼び寄せられた。1964年のことだった。

 「お客さんがスープを残せば味を研究した。大分の人はさっぱりなのが好いちょる」と今の味に近づけていった。そのラーメンは認知され、徐々に人気も出てきた。店内に入りきらず、近くの公園や道ばたに止めた車の中で食べる客もいた。一度に100杯以上の注文もあることも。出前持ちだけで5、6人雇った。店名も「大分支店」から「本店」に変えた。

 「青こしょうをいれてもおいしいよ」。半分ほど食べたところで正光さんはそう言った。卓上にあった青唐辛子をすりつぶした調味料をスープに入れる。辛みと塩気が豚骨の柔らかい風味を引き立たせる。「おやじが好きでね。今も置いてるんよ」。正光さんは一線を退いたが、妻のキヨさん(70)や娘、孫が家族の味を継ぐ。キヨさんは「この味を守っていけば、お客さんはずっと来てくれると思います」。

 久留米、日田、大分とJR久大線をたどるように伝わっていったラーメン。ルーツは久留米ながら、長年この地で愛されてきたこの一杯は、まさしく大分の味だ。 (小川祥平)

=2014/12/18付 西日本新聞朝刊=

PR

PR

注目のテーマ