<16>頑固おやじの「記憶帳」が語る しばらく(福岡市早良区)

西日本新聞

父の泰徳さんが写ったアルバムや半生がしたためられた「記憶帳」を手にする外村貢一さん 拡大

父の泰徳さんが写ったアルバムや半生がしたためられた「記憶帳」を手にする外村貢一さん

福岡市早良区西新1丁目11の24。ラーメン520円、替え玉120円、おでん90円。定休日は原則月曜日。営業時間は午前11時~午後9時半(金土は同11時半、日は同4時まで)。092(846)1555

 福岡市早良区に店を構える「しばらく」には、創業者の外村泰徳さん(故人)が自身の半生を書きとめた「記憶帳」なるものが保管されている。ページをめくると店の始まりについてこう記してあった。〈昭和28(1953)年6月9日 屋号「しばらく」で、大浜特飲街で店舗開店する〉

 大浜特飲街とは福岡市博多区にあった赤線地域のこと。近くに魚市場もあり、にぎわっていたという。外村さんは特飲街の用心棒をしながら、貸しボート屋や輪タク経営などで生計を立てていた。そんな時期に久留米でラーメン店をしていた友人から作り方を習って店をオープンさせた。

 ただ、うまくはいかなかったようだ。記憶帳はこう続く。〈知り合いが多いので繁盛するものと思いきや、用心棒をしていた関係で、兄貴分弟分達の付き合いで掛け倒れ〉。場所を変えて中洲に屋台を出したが結果は同じ。思案を重ねた末〈今から先の将来は西方面〉と福岡市早良区西新に屋台を出し、ようやく商売として成り立つようになった。大浜での開業から3年がたった頃だった。

 1杯50円。初日は68杯売れた。「頑固おやじ」として恐れられつつ、その味は客を離さなかった。売り上げは右肩上がりで、1959年には店舗化、チェーン店も増やした。

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 「永遠に抜けんライバルですよ」。外村さんの長男で2代目の貢一さん(57)は亡き父を語る。小さい頃から店を手伝い、18歳で本格的に働いた。麺上げ、スープ作りも習得。1日500杯以上を売るようになっていた。後継者が育ったことに安心したのか、泰徳さんは体調を崩すようになった。「毎日1升飲んでましたから」と貢一さん。〈頑固一徹、独自の営業方法でお客様には大変ご迷惑をおかけした事と思いますが、私は私なりに信念を持って、ラーメン作りに専念したつもりです〉。記憶帳によると86年、泰徳さんはそんな張り紙を店頭に掲げて引退を表明した。

 以来、店を守る貢一さんが差し出した一杯。丼になみなみと注がれたスープをすすると、少し甘めのダシが舌を包む。あっさり味で黄色がかった麺との相性もいい。最後は同店発祥の「すりゴマ」を投入して、味の変化も楽しんだ。

 泰徳さんは93年に63歳で逝去。味とともに引き継いだ店は5年前、運営会社の経営が傾きいったん閉店したが、再開を望む常連客に励まされ、2011年3月に再出発した。

 「おやじの存在は今でも大きい。おやじが残した看板の重さを感じながら、細く長く続けていきたい」。貢一さんは父親の写真に目をやりながらそう語った。 (小川祥平)

=2015/06/04付 西日本新聞朝刊=

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