戦死の夫へ94歳の恋文 糸島の大櫛ツチエさん

西日本新聞

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恋文をつづる大櫛ツチエさん

結婚式の日の大櫛ツチエさん(右)と仁九郎さん 仁九郎さんから届いた手紙やはがき

 青く澄んだ空に、白い雲がぽっかりと浮かんでいる。昨年3月の昼下がり、福岡県糸島市の大櫛ツチエさん(94)は自宅の窓から外を見やると、戦死した夫、仁九郎さん(享年27)への思いが突然あふれ出した。「あなた」と呼んだら来てくれる気がした。「優しく包み込んでくれるような、幸せな気持ちになった」。その日から毎日、仁九郎さん宛てに日常をつづった手紙をしたためる。亡き夫への、94歳のラブレターだ。

 流れる雲よ/心あらば/私の想(おも)いを伝えておくれ
 遥(はる)かに遠い/ニューギニア/ジャングルの中に/今も尚眠る貴方(あなた)に届けたい
 貴方!!/貴方!!

 太平洋戦争が始まる2カ月前の1941年10月。20歳の大櫛さんは、税務署に勤務していた24歳の仁九郎さんと結婚した。三三九度の時、初めて会った仁九郎さんは言った。「まず恋をしようね。そして夫婦になっていこうね」

 福岡市内の長屋を借り、新婚旅行で佐賀の唐津城に出掛けた。42年8月、長男の勝彦さんが誕生した。

 4カ月後、仁九郎さんに召集令状が届く。夫は「子どもと両親を頼むよ」と言い残し、戦地に赴いた。

 しばらくして長女洋子さんが生まれた。大櫛さんは毎日、手紙を書き近況を伝えた。台湾、マニラ、ニューギニア…。夫は転戦しながら現地の風景や花を描いた絵はがきをくれた。

 今日は勝彦の誕生日である。僕もひげを剃(そ)り心から君(きみ)達(たち)の幸福を祈った

 戦況が厳しくなった44年後半、夫からの便りが途絶えた。それでも、祈るように手紙を出し続けた。

 終戦翌年の46年7月だった。夫戦死の公報が届いた。44年10月、ニューギニアのジャングルで戦病死したとみられるという。

 子ども2人を抱きしめ、涙にくれた。後を追い命を絶とうとした。踏みとどまったのは、出征時の夫の言葉がよみがえったからだ。

 縁あって、50年から小学校の代用教員となり、28年間教員を務めた。戦中のことは一切口にしなかった。

 「思い出すことが好きじゃなかった」

 ニューギニアを訪れたのは、夫との約束を守り、子どもたちを育て上げた還暦を過ぎてからだった。「よく来てくれたねえ」。そんな声を聞いた気がした。

 米国や東京で働いていた勝彦さんが退職し、10年前、糸島市に一戸建てを建てて一緒に幸せに暮らす。

 箱にしまっていた夫の手紙は100通を超える。一通一通手に取りつつ、今、夫婦の時間をかみしめる。

 貴方!!/新聞のクロスワードパズルで全問正解/偉いでしょう!!/有難う!!

    ◇    ◇

 大櫛さんの恋文を編集した本「70年目の恋文」(税別1200円、悟空出版)が10日、出版される。


=2015/06/10付 西日本新聞朝刊=

連載「青空 あなたの物語」はこちら

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