【平和教育を考える】元高校教諭の物語<中>時代映した雑誌や入試 戦争疑う情報なく

西日本新聞

雑誌「主婦之友」の1940年新年特大号(右)。45年7月発行の雑誌は薄く、モノクロ版となり、戦況の悪化が伝わる 拡大

雑誌「主婦之友」の1940年新年特大号(右)。45年7月発行の雑誌は薄く、モノクロ版となり、戦況の悪化が伝わる

戦時下、子どもたちの祝い着にも戦闘機や大砲がデザインされ、戦時色に染まっていた

 ローマ帝国はなぜ滅んだのかなど、歴史には多くのなぞがあり、人々の探求心をかき立てる。兵庫県の高校で日本史を長年教え、退職帰郷した熊本県宇城市の上村真理子さん(61)。約5千点の戦時資料を収集した底流にも、素朴な疑問があった。「日本はなぜ、戦争へと向かったのか。なぜ、止められなかったのか」。あの時代、市井の人たちが残した何げない事物や記録の整理を続けながら、あれこれ考える。

    ☆   ☆

 「例えば、これ。かなり違ってるでしょ」と、上村さんは2冊の女性向け雑誌「主婦之友」を並べた。

 太平洋戦争が始まる前年、1940年発行の新年特大号は、約500ページの色刷り。「病院船 白衣の天使の感激座談会」では、37年に始まった日中戦争を戦う兵士をたたえる。「娘の結婚問題」「統制経済」などの項目も並ぶ。

 一方、終戦を目前にした45年7月号は、約30ページのモノクロ版。中をめくると、「勝利の特攻生活」「勝ち抜く壕(ごう)生活」「焦土菜園の手引」などのタイトルで、窮乏を生き抜く涙ぐましいノウハウが記されている。

 「わずか5年間で、市民生活は、これほどまでに変わったんですね」「そう、広告も色もなくなって、紙もボロボロでしょ」

 17年創刊の同誌は2008年に休刊した。

 国家予算に占める軍事費は、満州事変があった1931年は30・8%だったが、終戦前年の44年には78・7%にまで達する。あのころ、家計簿なんてあったのだろうか。雑誌という「定点」からも、時代や暮らしが伝わってくる。

    ☆   ☆

 戦時下、学校入試はどうだったのか。上村さんは、図書館のマイクロフィルムを検索した。

 勤務していた高校の前身、県立第2神戸高等女学校の1944年3月入試を調べた。それまでは、現在のような教科ごとの筆記試験が実施されていたが、この年からは体力・体格検査に加え、「口頭試問」(面接試験)が導入された。

 その問題を見て、上村さんはあぜんとした。

 (1)出征される兵隊さんはどんな決心でいかれるのでしょうか(2)それと同じ決心を詠んだ歌をいってごらんなさい…。

 受験生は〈海行かば 水漬(みづ)く屍(かばね) 山行かば 草生(む)す屍…〉(海を行くなら、水びたしの死体になろう…)と答えれば、合格した。

 「何だか、熱病にでもかかったようで、頭が痛くなってきますね」「あのころ、元気に、明るくって言葉が、やたらと氾濫するんですよ」

 やがて上村さんが引っ張り出したのは1枚のざら紙「町内会組回報」。〈規格外ラジオ受信機をお持ちの方は至急届けでないと罰せられます〉。42年7月、名古屋地方などで配布された回覧とみられる。

 「情報を疑おうにも、その情報自体がなかったんですよね。教育と情報の大切さを、あらためて感じる」。上村さんはしみじみと話した。

   ☆   ☆

 戦争体験者の高齢化に伴い、戦後70年という節目は「同時代史」から「歴史」への転換点になろうとしている。戦争と平和を考えるこれからの学びの姿とは。上村さんと一緒に最終回(23日掲載予定)で考えてみる。


=2015/06/16付 西日本新聞朝刊=

PR

PR

注目のテーマ