<8>時間SFの最高峰【マイナス・ゼロ】

西日本新聞

 もしあのとき、広瀬正が死ななかったら、日本SFの歴史は変わっていたかもしれない。

 広瀬正は、1924年、東京生まれ。大学卒業後、ジャズバンドを率いて第一線で8年間活躍したのち、作家を志し、SF同人誌「宇宙塵」に参加。70年のデビュー長編『マイナス・ゼロ』から、第2作『ツィス』、第3作『エロス』と、矢継ぎ早に出した3冊の長編が3期連続で直木賞候補となり、遅咲きの超大型新人として脚光を浴びる。

 だが、72年3月9日、赤坂の路上で心臓発作を起こし、そのまま帰らぬ人に。享年47。筒井康隆によれば、広瀬正はその時点で10本を超える長編の構想を持ち、完成間近の原稿もあったという。

 没後に刊行されたのは『T型フォード殺人事件』『鏡の国のアリス』の2長編と、短編集『タイムマシンのつくり方』。わずか2年の作家歴が残したこの6冊は、河出書房新社の『広瀬正・小説全集』にまとめられ、そのまま集英社文庫に収録されている。どれも読み出したらとまらないおもしろさだが、1冊だけ選ぶならやはり、『マイナス・ゼロ』だろう。

 主人公の浜田俊夫は家電メーカーの技術部長。ひょんなことからタイムマシンに搭乗し、昭和7年へと赴くが、アクシデントで帰還不能に。持ち前の楽天的な性格と未来の知識を活用して、俊夫は31年前の古き良き東京で生活しはじめる……。

 日本のSFでは、なぜか宇宙ものより時間ものの人気が高く、筒井康隆『時をかける少女』はじめ、多くの作品が時を超えて愛されているけれど、本書はその最高峰。

 上質のユーモアとノスタルジーに満ちた語り口で、ごく自然に物語に引き込まれるが、読み進むうち、さまざまな謎が積み重なり、複雑怪奇にからみあってゆく。時間旅行のロジックを徹底的に考え抜いた著者は、最後の最後、天才マジシャンのような手ぎわですべての伏線を回収し、驚愕(きょうがく)の真相を鮮やかに提示する。SFの奇想とミステリの論理の幸福な結婚。

 広瀬正の棺には、「タイムマシン搭乗者」と書いた紙が貼られていたという。

(書評家、翻訳家)

=2015/06/16付 西日本新聞朝刊=

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