博多ロック編<251>ブルースの暖簾
NHK福岡放送局主催の「熱血!オヤジバトル」は中高年を対象にしたアマチュアバンドコンテストだ。2002年の大会でグランプリを受賞したのは福岡市のバンド「インスタント・グルーヴ」である。このバンドのボーカルは中村吉利だ。中村は大会のゲスト審査員だった「シーナ&ロケッツ」の鮎川誠とは高校時代に同市のロック喫茶「ぱわぁはうす」で出会っていた。
中村は3人兄弟の末っ子で、長兄はブラックミュージックが好きだった。
「ベンチャーズが嫌いで、兄の影響を受けて中学時代からソウル、R&Bなどを聴いていました」
高校に入って結成したのが「博多仲良し会ブルースバンド」だ。「照和」での出演だけでなく、ブルース色の強い「サンハウス」などが拠点にした「ぱわぁはうす」をのぞくうちに、ここでもライブをすることがあった。ある日、店のトイレに次のような落書きを見つけた。
〈聴きたくないわ、ケツの青い坊ちゃんたちのブルースなんて〉
どのバンドか、の主語はない。中村はこの落書きについて「おれたちのことだ」と、とっさに感じた。怒りと同時に「そのくらいのサウンドなんや」と複雑な感情で受け止めた。
× ×
中村が驚いたのは「サンハウス」のレベルの高さだけでなく、もう一つあった。山部善次郎に連れられて鮎川の下宿を訪ねたときだ。タンスの引き出しは一枚一枚、丁寧に和紙でくるんだレコード盤で埋まっていた。ジャケットは別に保存されていた。
「ここまでレコードを大切にしているのか。とても私にはできない」
鮎川はレコードの曲はカセットテープに落として、それを繰り返し聴いていたのだ。
「博多仲良し会ブルースバンド」はブルースハーモニカの中野茂樹や新しいボーカルを入れたりしながら中村が大学を卒業する前後まで続いた。
「ボーカルを入れたのは自分の声が細かった、太くなかったからです」
中村の実家は料亭「中村屋」で、ここを手伝いながらも音楽から離れることはなかった。1990年ごろに「インスタント・グルーヴ」を結成した。現在、和食の店「中村屋」を兄と共に商っている。店の暖簾(のれん)とブルースの暖簾を守っている。
「ぱわぁはうす」の時代は落書きのことを含め忘れることはない。
「この歳になってはもうケツは青くないですから。声も太くなりました。ブルースに合う、いい声です」
中村は笑いながら言った。 =敬称略
(田代俊一郎)
=2015/06/29付 西日本新聞夕刊=