博多ロック編<253>移りゆく時代に

西日本新聞

自主制作盤「嘆きのばんび」のジャケット(左端が中谷) 拡大

自主制作盤「嘆きのばんび」のジャケット(左端が中谷)

 福岡市のライブハウス「80’sファクトリー」の終焉(しゅうえん)を飾る、1982年3月のラストライブは1週間続いた。

 「このライブに出たのが最初のステージでした」

 こう語るのはバンド「アンジー」の中谷ブースカこと中谷信行(ベース)である。「アンジー」は山口県長門市の高校生4人が80年に結成した。同県・秋吉台から長門市へ転校してきた中谷は他の3人のメンバーより一つ下だった。

 中谷はクリアケースに「ローリング・ストーンズ」のシンボルになっているあの舌を出したシールを貼っていた。それを見た水戸華之介(ボーカル)たちが声を掛けてきた。

 「おっ、音楽をやるのか。一緒にバンドをやろうよ」

 それがスタートだった。メンバーの自宅でよくライブをやっていた。音楽を継続するため卒業間近になって山陰の小さな町からの脱出を考えた。東京、大阪…。メンバーはかろうじて聴けたFM福岡で「モッズ」や「ロッカーズ」など博多ロックの曲に触れていた。

 「博多が今、面白そうだ。博多に行こうか」

 3人は博多に行き、年下の中谷は1年遅れて合流した。いきなりのステージが「80’sファクトリー」だった。

 ×   ×

 「80’sファクトリー」は博多ロックの牙城だった。中谷は滑り込みで最後の瞬間に立ち会うことができた。ただ、中谷を含め長門市から来た「アンジー」にとって博多ロックの重しはなかった。主流派の「サンハウス」は解散し、「モッズ」「ロッカーズ」もすでに上京していた。二重の意味で博多ロックの呪縛はなかったといえる。中谷は冗談気味に言った。

 「博多ロックのガンガンのビート、重いサウンドに比べれば私たちのはコミックソングみたいなものでした」

 コミックソング、との言い方は博多ロックにとらわれない自由なサウンドということだろう。博多ロックで第3世代と言われることはあまりない。あえて区分をすれば「アンジー」や「シャム」などは第3世代と言うことができるかもしれない。そういう意味で言えば「アンジー」はある時代を指す独特な呼称「博多ロック(めんたいロック)」と、その後のロックに向かう端境期のバンドだったといえる。

 「アンジー」は1986年にインディーズ盤「嘆きのばんび」(ジュークレコード)をリリースし、88年にはシングル「天井裏から愛を込めて」(メルダック)でメジャーデビューした。92年に活動を休止した。

 中谷は97年に福岡にもどり、CMソング制作などで音楽に関わり続けている。

 =敬称略

 (田代俊一郎)


=2015/07/13付 西日本新聞夕刊=

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