博多ロック編<255>新しい時代に

西日本新聞

「博多ロック」の源流「サンハウス」のステージ 拡大

「博多ロック」の源流「サンハウス」のステージ

 福岡を拠点にした戦後の大きな文化、芸術運動は三つあった。1960年代の「九州派」の前衛美術運動に、70年代のライブハウス「照和」を舞台にしたフォーク運動、そして今回連載した70年代から80年代のロック運動である。いずれも福岡から発信し、日本全体にも影響力を持ったムーブメントだった。

 「九州派」と「照和」についてはすでに連載でアプローチしていた。残ったテーマがロックだった。音楽都市・福岡と形容されるようになった大きな基層はこの「博多ロック」だ。特に80年代に入って「めんたいロック」の異称を得ることで、さらに広がりを持った。「めんたいロック」について鮎川誠は次のように語った。

 「この言葉だけで日本語の激しいロック、ビートの強烈なサウンドがイメージできるのはすごいことだと思う」

 ×   ×

 「博多ロック」を勝手に区分すれば70年代から80年代半ばまでの称号である。70年代の「サンハウス」に始まり、80年代初頭の「ロッカーズ」「ルースターズ」「モッズ」などへと続く流れである。もちろん、メジャーデビューしたバンドだけでなく、多くのバンドが織りなした熱気の総称であることは言うまでもない。そこにはまぎれもなく「ロック共和国」が存在した。

 固有名詞的な「博多ロック」とそれ以後の「博多のロック」と分かつものはなにか。それは手垢(てあか)のついた言葉で言えば「貧しく一途に」である。当時、現在のように手軽に音楽情報は入手できないし、CD制作もできなかった。また、ライブハウスも少なかった。すべてがハングリーな時代だった。

 その飢えを、必死にレコードを聴き、狂的に練習することで満たしていった。日本語ロックへの美しき殉教心と言ってもいい。ライブに強いバンドが出来上がるのは当然のことでもあった。

 運動が終わった後に来るのは個別の戦いである。継続するバンドもある。新しく結成したバンドもある。一時、音楽を離れて再び、活動を始めようとするバンドもある。その意味では「博多ロック」は終わったものではなく継続、進行中である。

 ある文化が定着するのには激しい運動を必要とする。多様化社会の現代では「運動なき時代」と言えるかもしれない。だからこそ、音楽都市・福岡の原点である「博多ロック」の心揺さぶるラジカルなビート、スピリットは新しい時代に向けて示唆に富むコードではないだろうか。 =敬称略

 (田代俊一郎)

 ※「博多ロック」編は今回で終わります。


=2015/08/03付 西日本新聞夕刊=

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