「体験」と「信念」ともに

西日本新聞

九州大大学院比較社会文化研究院 直野章子准教授

 人間の記憶は時間がたてば色あせるものだが、被爆の記憶は70年の歳月を経ても薄れない。順序立てたり、まとまったりはしていなくても、その場面はいつでも不意に、よみがえる。よく使われる「地獄」という言葉の通り、目にした光景だけではなく、においや声、そして全身やけどした遺体を川から引き上げるときに皮膚がずるりとむける感触といった五感を通して被爆者の体に刻み込まれている。

 つらい記憶と同時に、被爆者は差別と偏見にも苦しんできた。それは「原爆がうつる」という本人に対するものから、子どもの結婚や出産にまで及んだ。

 差別はとうの昔になくなったと考える人も多かった。しかし2011年3月の東京電力福島第1原発事故は、非科学的な偏見や差別が今も存在していることを証明することになった。戦後数十年を経た後も「孫が無事に生まれたから」という理由で被爆者健康手帳の取得申請をする人たちがいる。

 被爆地の広島、長崎以外では息をひそめるように生きてきた被爆者が少なくない。被団協の各地の組織は、「原爆」や「被爆者」の文字を使わずに「友の会」などの通称を使う団体が多い。自宅に届く会報などの郵便物を通して被爆者であることを周囲に知られることを恐れていたからだ。

 近年は被爆者運動の存在感が社会の中でそれほど大きくなくなった。被爆者運動が世論の支持を得られにくくなった面もある。冷戦期に比べて核兵器の脅威は薄れた。さらに近年は若い世代を中心に格差や貧困といった問題への関心が高く、被爆者への国家補償要求を被爆者自身が主張しづらく感じるようになった。

 子どもたちへの平和学習も、教員たちが多忙になり充実させることが難しい。感想文を「こう書くべきだ」と模範解答を求める傾向もある。本来は考えるきっかけを与えることが大事なのだが、「あるべき論」に陥ると社会全体が持っている被爆の記憶は、ますます風化していく。

 そうした戦後70年という状況に加え、そう遠くない将来には記憶を語ることができる被爆者自身がいなくなる。被爆体験の継承とは、単に原爆投下時の惨状を伝えることではなく、「核兵器も戦争もなくす」という被爆者たちの信念を受け継ぐことだ。それは60年に及ぶ被爆者運動の歴史を後世に伝えることでもある。

 政治信条もバラバラの被爆者たちは「苦しみ、亡くなった人たちの無念を晴らしたい」という思いでつながってきた。自分たちの援護の充実だけを求めていたのなら、ここまで運動への共感は広がらず、長続きもしなかったはずだ。

 今もなお被爆者として新たに語り始める人がいる。その声を拾うためにも被爆者の実態調査を続ける意義は大きい。継承していくことは簡単ではないが、まず被爆者の生きざまを自然に伝えること、そして自然に受け止めることがその一歩になる。

=2015/08/05付 西日本新聞朝刊=

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