原子野 次代への伝言 広島の記憶/長崎の記憶

西日本新聞

長崎市の爆心地付近の一帯。中央は松山町交差点=1945年8月10日(山端庸介氏撮影) 拡大

長崎市の爆心地付近の一帯。中央は松山町交差点=1945年8月10日(山端庸介氏撮影)

国鉄広島駅構内で休息する人たち。被爆地への救援、救護で赴いたと思われる=1945年(米国立公文書館所蔵) 爆心地近くの松山町付近で被爆した長崎電気軌道の路面電車

 平和を求めて被爆体験を語り続ける人、放射線の家族への影響に不安を拭いきれない人…。戦後70年を経てもなお原爆被害は体験者の上に重くのしかかり、その心中には「再び被爆者を生まないでほしい」という願いが満ちている。被爆地の外で暮らしてきた被爆者たちの体験をつづった。

 [ワードBOX]被爆者 被爆者援護法で定める被爆者は、(1)直接の被爆者(2)原爆投下から2週間以内に爆心地の約2キロに立ち入った入市被爆者(3)被災者の救援や死体の処理など放射能の影響を受けた救護被爆者(4)原爆投下時に母親の胎内にいた胎内被爆者-に分けられる。被爆者であることを証明する「被爆者健康手帳」は都道府県知事か広島、長崎両市長が交付する。手帳の所持者はほとんどの疾病で医療費の自己負担がなくなる。また、原爆の放射線を原因とする病気(原爆症)で治療が必要と認められると、国が医療特別手当(月額約13万8380円)を支給する。受給者は8749人(今年3月末現在)。現在でも手帳の交付や原爆症の認定を求める訴訟が各地で続いている。

=2015/08/05付 西日本新聞朝刊=

PR

PR

注目のテーマ