【ふるさとの守り人】<4完>故郷は「自己の座標軸」 愛知大 武田圭太教授(組織心理学) ほか

西日本新聞

緑豊かな高知県檮原町の集落。生まれてからずっと暮らしている90代の男性が土地を守っていた 拡大

緑豊かな高知県檮原町の集落。生まれてからずっと暮らしている90代の男性が土地を守っていた

 私たちにとって「ふるさと」はどんな意味を持つのだろうか。連載の締めくくりに、心理学と経済学の二つの視点から、識者に聞いた。

 ●故郷は「自己の座標軸」 愛知大 武田圭太教授(組織心理学)

 ふるさととは「私の始まり」である。人は小学生までの時期は感性が柔らかく受け身だが、周りとのやりとりの中で能動的に関わっていけるようになる。ふるさとを起点に、生活する場所や領域が拡大していく。家族や近所の人、自然環境からさまざまな刺激を受けながら、感じ方や考え方のパターンができあがり、自己の中核を形作る。その体験が「ふるさと」となるが、人格の形成に従って記憶は曖昧模糊(もこ)となっていく。

 ふるさとを失うことは、ただでさえ曖昧な自己の核の部分が喪失すること。座標軸がなくなり、自分がどこに立っているかも分からなくなる。自己が漂うような不安定な心理状態になってしまう。

 日本人は少し前までは定住が前提で、先祖が開墾した土地を守りながら1次産業を営んできた。そういう土地から出ていくと、育ててもらったいろんな人への不義理など、受けた恩を返せない罪悪感が生まれるのでないか。

 いったん失ったふるさとを再生するのは難しい。合理性だけをみて集約するのでなく、そうした心理面も含めて総合的に意見交換することが必要だ。

 ●中山間地の役割評価を 一橋大 寺西俊一教授(環境経済学)

 1989年3月、宮崎県の山間部にあった寒川という集落が400年の歴史を閉じて消滅した。皮肉なことに、当時の竹下登首相が「ふるさと創生」を提唱したころのことだ。それから四半世紀がたつが、日本の近未来において、「ふるさと」が次々と消えうせていく恐れが高まっている。

 「ふるさと」の消滅は、そこに生まれ育った個人の視点で考えれば、自己のルーツや心のよりどころである「かけがえのない場所」が失われることを意味する。経済学では「固有価値」の喪失という。それぞれの個人が自分の「ふるさと」に抱く思い(愛着や誇り)が強ければ、喪失感も大きなものとなるだろう。

 社会全体の視点で考えれば、日本の場合、「ふるさと」の多くが中山間地域にあるため、健全な国土の維持や保全に重大な支障が生じることが懸念される。中山間地域は国土の7割を占めるが、そこが無人化し荒廃していけば、下流域に位置する都市地域も深刻な影響を受けざるを得ない。中山間地域が果たしている積極的な役割をあらためて評価し、「ふるさと」の消滅を食い止めていく手だてを抜本的に考えていく必要がある。

    ◇      ◇

 ●記者ノート 復元の労力 計り知れぬ

 私には「ふるさと」と呼べる一つの場所がない。転居が多く、12歳から6年しか住んでいない実家の土地は、どこか遠い存在だ。強いて言えば緑豊かな美しい自然に、ふるさとのような懐かしさを感じる。

 高度成長期以降、一つの場所に生涯住み続ける人の方が珍しい。だから、ふるさとを優先することは感傷的すぎて合理性に欠けるという意見もあるだろう。それなのに私たちは、休日になると自然を求めて山や海へ出掛けていく。

 今回の取材で驚いたのは、人の手が入らないとこれほど自然は荒れるのか、ということだった。大分市内の別の廃集落は、道が草木で覆われたどり着くことさえできなかった。山も川も海も、そこに住む人たちの地道な努力で保たれている。長い間私たちにとって「ふるさと」だったものが失われてから気付いても、復元の労力は計り知れない。

 先駆例として紹介した高知県でも、集落を全て保つのは難しいだろう。それでもふるさとを守るため、住民も行政も共に一歩ずつ、足を進めていく姿が心に残った。地方のあり方が問われる今、私たちにとってふるさととは何なのか、あらためて考えたい。

 =おわり


=2015/08/28付 西日本新聞朝刊=

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