民謡編<261>呼子のクジラ歌(中)

西日本新聞

 佐賀県唐津市の呼子港から小川島まで渡船で約20分だ。周囲4キロの小島で、現在の人口は約400人。かつてここには「鯨組主中尾家」の前線基地があり、まさにクジラの島だった。

 「あそこは以前は砂浜で、その近くに納屋場があった」

 「小川島鯨骨切り唄子供保存会」の代表、石井靖教(62)は港近くの場所を指さしながら言った。

 埋め立てによってその面影はないが、わずかに残る防波堤の石積みが往事を忍ばせる。

 「今でも納屋場という名前は使っています」

 納屋場。捕獲されたクジラはこの納屋場に引き揚げられ、解体された。

 石井は歌った。轆轤(ろくろ)巻き上げ歌だ。

 〈沖じゃ鯨取る 浜でさばく ヨーイヨイ 納屋の旦那さんな こりゃ金はかる ヨーイヨーイヨイヤナ ドートー エンヤ巻いた エンヤ巻いた 巻いた 巻いた〉

 捕獲した巨大なクジラを浜から納屋場に揚げるのは大きな労働力を必要とした。轆轤を回しながら少しずつ巻き上げた、その時に歌ったのがこの民謡だ。最後の「巻いた」の繰り返し時に作業者は一気に調子を合わせた。

   ×   ×

 石井はこの島に生まれ、17歳からイカ釣り漁をしている漁師である。

 「6歳のごろかな。浜に揚げられたミンククジラを見たことがあります」

 「鯨組」の中尾家は明治に入ってまもなく不漁で採算が合わず、約170年の捕鯨の歴史にピリオドを打った。その後、小川島には「小川島捕鯨株式会社」が生まれて捕鯨産業を引き継ぐが、昭和30年代にそれも終わった。石井が幼少期に目撃したミンククジラは沿岸捕鯨の終焉(えん)期の一頭だった。

 その後、クジラ歌は捕鯨に関わった人たちによってほそぼそと伝承された。保存のために会が設立されたのは1979年のことだ。石井は5年前に代表として歌の指導に当たっているが、20年近く前にはクジラ歌をほとんど知らなかった。

 「娘の高校の文化祭でクジラ歌の出し物が企画されて父兄として歌を習ったことが始まりでした」

 石井は古老の歌を直接、聴き、残されたテープからも学んだ。現在、会には小学3年生から6年生まで16人も入っている。練習は月1回だ。

 「子供たちにも参加してもらっているのは島の歴史を知り、伝承してもらいたいとの思いです」

 島のクジラ歌は作業工程に沿って3曲ある。巻き上げられたクジラは納屋場で解体作業に入る。それが島を代表する民謡「鯨骨切り歌」だ。 (田代俊一郎)


=2015/09/28付 西日本新聞夕刊=

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