民謡編<262>呼子のクジラ歌(下)

西日本新聞

 〈ハアー 小川山見から ソーライ 幸崎見れ 幸崎きゃ セミのいお ソーライ 沖や ナガスよ…アーよう切る よう切る〉

 この民謡は佐賀県唐津市の呼子沖の小川島に伝承される「鯨骨切り歌」である。山見は見張り所、幸崎は七ツ釜方面のこと、セミはセミクジラ、ナガスはナガスクジラのことだ。「よう切る」は調子を合わせる囃子(はやし)言葉だ。現在、島の骨切り歌は6番まで伝承されている。

 「以前は10番以上、あったと思います」

 「小川島鯨骨切り唄子供保存会」の代表、石井靖教は推測する。歳月の中で固定化されて全6番に落ち着いた。古い資料にあたってみると次のような歌詞も記されている。

 〈名古(護)屋儀八さんな 邪見(険)な人よ
小値賀お母やんば ほろほろ泣かせ…〉

 労働の現場は男女の出会いの場でもあり、現存する歌詞から抜け落ちた色恋の歌もあった。むしろ、こういった歌の方が過酷な労働から一瞬でも解放される効果があったにちがいない。

   ×   ×

 浜から陸揚げされたクジラは納屋で解体された。中でも骨切りは単調ではあるが、油を取るためには重要な仕事だった。男衆が大骨を切り、女衆はそれをさらに細かく切った。石井は言う。

 「たくさん油を取るためですよ」

 細かく切った骨を煮ると湯面に大量の油が浮く。その上澄みをすくった。油は生活の灯明として家々を照らす自然エネルギーだった。骨はさらに細かく砕き、畑の肥料にした。クジラ丸ごと利用する日本独自のクジラ文化を見ることができる。

 「轆轤(ろくろ)巻き上げ歌」でクジラを陸揚げし、「骨切り歌」で解体した。達成した労働の喜びを歌ったのが祝い歌の「お歌い」である。

 〈思うことは そりゃ叶(かな)うたよ サーヨイヨイ 末は鶴亀 亀ヨイヤサ…これからさきは 鯨も大捕れしょ〉

 小川島ではこの三つの歌が伝承されている。島のクジラ歌はどのように生まれたのか。石井は語る。

 「四国の室戸(高知県)に同じような歌詞の民謡があります」

 クジラ歌はクジラ捕りの技術を伝えた和歌山県・太地の漁民が技術とセットにした形で伝えた-との考えだ。点々と各地の捕鯨基地に伝播(でんぱ)し、その土地の地形や風土も盛り込まれて郷土の民謡として定着した。

 小川島の高台にはクジラの山見小屋が残されている。瓦葺(ふ)きだが、江戸時代は粗末な茅(かや)葺きだった。小屋の中の細長の窓から南北の海が見渡せる。今は沖ゆくクジラの潮吹きを見ることはない。
 =敬称略

 (田代俊一郎)


=2015/10/05付 西日本新聞夕刊=

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