【「空白」を生きる 若年性認知症】<5完>支援者が希望をつなぐ

西日本新聞

 「私は当事者です。声を掛けてくださってありがとうございます」。9月下旬、福岡県大牟田市であった「認知症SOSネットワーク模擬訓練」に、若年性認知症の女性(65)の姿があった。

 行方不明になった認知症の人を捜す想定の訓練で、行方不明者役に声を掛けた一人一人に笑顔で駆け寄り、丁寧にお礼を述べた。

 女性は57歳で「若年性アルツハイマー型認知症」と診断された。59歳で運転免許証を返納し、自営の店を閉めた。「私の人生は終わった」と嘆いた。

 そんなとき、大牟田市が全国に先駆けて独自に養成する「認知症コーディネーター」の永江孝美さん(62)と出会った。当時女性は要介護認定を受けておらず、公的支援につながっていなかった。

 介護施設で働く看護師の永江さんは女性の不安を受け止め、家族の声に耳を傾け、主治医と連携しながら症状の進行に応じて介護サービスや支援につないだ。2010年に大牟田市で発足した若年性認知症の本人交流会「ぼやき・つぶやき・元気になる会」にも誘った。

 出会いから5年。女性は症状が進んでも永江さんの顔と名前は忘れない。機会があれば認知症当事者として堂々と人前にも立つ。「どんな薬や注射でも治らん。でも、永江さんや交流会の仲間のおかげで元気になれた」と語る。

 同じ認知症コーディネーターの大谷るみ子さん(57)は、昨年3月末に66歳で逝った若年性認知症の男性の自宅を今も頻繁に訪れる。残されたのは妻(48)と小学4年から高校2年までの娘4人。

 父の発症当時、小1だった三女(13)は作文に「私は自分がお父さんに対してやった言動に今、後悔をしています…私はもう、父と会話することはできません。謝ることができません」とつづる。そんな三女と思い出話をし「お父さんと一番似ているね」と語りかける。

 昨年4月には長女(17)の高校の入学式にも出席。「10歳の四女が結婚するまで見届けたい」と言う。娘たちは大谷さんを「るみちゃん」と呼んで慕う。次女(15)は「父の認知症発症からの数年はつらいこともあったけど、それによって巡り合えた方々とのつながりはかけがえのないものとなりました」と振り返る。

 大牟田市の認知症コーディネーターは現在、6人。認知症の人の尊厳を守り、住み慣れた地域で暮らしていけるよう、医療や福祉などのさまざまな支援を調整する。大谷さんら認知症介護の専門職と市が03年から養成を始め、これまでに104人がコーディネーターとして必要な研修を受けている。

 コーディネーター養成にも携わる永江さんは「若年性認知症は『早期診断、早期絶望』となってしまいがちだが、希望を持って過ごせるよう支える伴走者に、より早く出会うことが必要」と訴える。

 厚生労働省は、大牟田市のコーディネーターと同じように、認知症の人へのさまざまな支援を調整する「認知症地域支援推進員」を18年度までに全市町村に配置することを目指す。さらに、若年性認知症の人を支援する専門コーディネーターを各都道府県に配置する方針だ。大谷さんは「形だけでなく、当事者視点できめ細かな支援ができる仕組みにしてほしい」と指摘する。

 診断直後の「空白」、症状が進んで仕事ができなくなったり、記憶が失われたりする「空白」、当事者が亡くなって家族に生じる「空白」…。若年性認知症の人と家族に訪れる「空白の時間」の伴走者となりうる存在が必要とされている。

 =おわり


=2015/10/29付 西日本新聞朝刊=

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