民謡編<265> 佐賀関のタイ釣り歌(下)

西日本新聞

 大分市佐賀関の民謡「関の鯛つり唄」の2番は佐賀関港に水揚げされたタイがどこに運ばれたかを歌い込んでいる。

 〈釣って釣り上げてナアー なまいよ(生魚)にやサー 立ててナアー 大阪ジャコバの サアヨー 言うたノー 朝売りじゃいノー〉

 〈ジャコバ〉は魚市場のことだ。豊予海峡の早瀬で一本釣りされたタイは佐賀関に集められた。漁師はそのタイを生(い)け簀(す)のある八丁櫓(ろ)の船に積み込み、豊予海峡から瀬戸内海を一気に漕(こ)ぎ進んで大阪の〈ジャコバ〉に水揚げした。生きた新鮮な「関のタイ」は高値で取引された。

 3番は2番を受けた形で展開する。

 〈ごんたんべえが下らすときゃナアー 腰の紺テノゴイどま置きゃれー 様を見る見る サアヨー 言うたノー 顔をふくわいノー〉

 〈ごんたんべえ〉は「あなた」のこと。売りさばいて大金を手にした漁師たちは大阪の花街に繰り出した。一夜の別れを惜しんで花街の女性は帰る漁師に「あなた、せめて腰の手ぬぐいだけでも置いていってください。それで顔を拭いてあなたのことを思い出します」といった艶っぽい内容になっている。散財してもお金が残るような商いだったようだ。

 「関の鯛つり唄・踊り保存会」の事務局長、岩津邦夫は言った。

 「大正時代末ごろに大阪の魚市場が開設されたようですからそれ以降の歌詞だと思われます」

 民謡は時代によって歌詞は柔軟に変化する。現在の歌詞、メロディーに整理されたのは1966(昭和41)年の大分国体の時である。

   ×    ×

 大分国体を盛り上げるマスゲームで「関の鯛つり唄」が披露された。その数年前にはビクターなどでもレコード化されていたが、県の代表民謡としてポジションを得たことになる。この時、歌だけではなく踊りの振り付けもでき、1500人が壮大な群舞を見せた。これを契機に保存会が結成された。

 舞踊の担当は岩津夫人の千津子で、岩津夫妻と保存会会長の辻島鑑霊の3人がトリオになって郷土の民謡を守っている。地元の幼稚園、小中学校の運動会の中にもこの歌と踊りが定着している。だれでも踊れる地域の歌だ。毎年恒例の「関の鯛つりおどり大会」も35回を数える。3人は言った。

 「来年はもっと多くの人にこの民謡が知られるように全国大会を計画しています」

 民謡は郷土の歴史と誇りが詰まった共同体の共有財産である。
 =敬称略

 (田代俊一郎)


=2015/11/02付 西日本新聞夕刊=

PR

連載 アクセスランキング

PR

注目のテーマ