民謡編<267>国東町のまてつき唄(上)

西日本新聞

 「ザ・民謡ベストコレクション 九州編」(1996年、日本コロムビア)のCDには黒田節、おてもやん、炭坑節など九州を代表する民謡24曲が収録されている。この中には全国的にも珍しい漁の作業歌である大分県国東市国東町北江の「まてつき唄(うた)」もある。

 「まて」とは細長い貝のマテガイのことだ。干潟にある巣穴に塩を入れて飛び出したマテガイを採る遊び心に満ちた方法もあるが、それをもっと大量捕獲の漁として成立させたのが「マテ突き」である。

 国東町の前には遠浅の砂地の周防灘が広がっている。沖合1キロ近くまで小船でこぎ出して漁は始まる。「正調まてつき唄保存会」の前会長の木村知理男(80)は「漁は重労働でした」と語る。

 漁の仕方は弓矢の矢のような1メートルの鉄の針20本を一組にして、船上から砂底に突き刺すように上げ下げする。鉄針が潮に流されないようにそれぞれに大きな鉛がついている。総重量25キロ。それを1人で操作する重労働である。マテガイは次の貝が刺さるたびに徐々に上にあがり、一つの針に10個以上も串刺し状態になって採れることもあった。船を流しながらの1回の漁で15キロも採れることがあった、という。

   ×    × 

 〈アリャ 嫌じゃかかさんヨーイ まてつき嫌じゃ アリャ 色も黒うなりや 腰ゃかがむ〉

 つらい漁だった。それも冬場である。

 〈アリャ 寒い北風ヨーイ 冷たいアナジ アリャ 吹いてぬくいのがマジの風〉

 〈アナジ〉は北西風で、〈マジ〉は南風のことだ。ただ、現在、この漁はない。大分県の民謡研究家の加藤正人は著書『ふるさとのうた』(75年刊)の中で次のように記している。

 「大正末期には三十隻ほどあったマテツキ船もおいおいに減少するばかりで、終戦後にはわずか数隻になり、さらに今では全くその影を見かけなくなってしまった」

 貝が採れなくなったことや重労働の割には貝が高く売れないことなどもあって戦後10年たった55年ごろにマテ突き漁は姿を消した。マテ突き漁の道具は1セットだけ現存している。

 「正調まてつき唄保存会」は40年前ごろに結成された。木村が会に入ったのは7年前だ。木村は塗装、建築業が仕事で漁とは関係はなかった。会のメンバーに知り合いがいて、浪曲や三味線が好きなこともあって入会した。

 「でも、私には歌えない。この唄は難しい。歌えるには3年かかる」

 漁そのものが独特だけではなく3拍子の民謡そのものも珍しいのだ。 =敬称略

 (田代俊一郎)


=2015/11/16付 西日本新聞夕刊=

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