<26>脇役、愛され看板メニューに そば処まさや(福岡市中央区)

西日本新聞

 福岡市中央区薬院の裏通りにある雑居ビル。掲げられた看板には「そば処 まさや」と大きく書かれている。当然、そば店だと思ってのれんをくぐったが、そこには予想外の光景があった。客がおいしそうにすすっているのは、ラーメンなのだ。

 「45年ほど前から本格的に始めたんですが、今では半数以上のお客さんがラーメンを注文しますよ」。店主の宮原猛雄さん(85)は言う。そしてこれまでの歴史を振り返ってくれた。

 熊本県人吉市出身。「村一番の働き者で養子の引き合いも多かった」と自認する宮原さんは、20歳の時に親戚のつてを頼って福岡市にあった製麺所で働き始めた。うどんやそばの麺の製造、配達と早朝から夜まで働き続けた。

 転機が訪れたのは1962年のこと。同市東区箱崎にあった得意先の食堂の経営者から「店を畳むつもり」と聞かされた。老齢の女性が切り盛りしていた繁盛店。宮原さんは「もったいない。のれんを継がせてほしい」と頼んだ。働き者の宮原さん。配達の途中に自らすすんで米とぎ、包丁研ぎなどを手伝っていたことも影響したのだろう。経営者は申し出を受け入れてくれた。その店の屋号こそが「まさや」だった。

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 「配達でうどん屋、そば屋などを回ってたので、だしの取り方などは見慣れ、聞き慣れでできましたよ」。九州大学にも筥崎宮にも近い立地もあり「毎日、米を1俵炊いていた」ほど売れた。ただ、現状に満足しないのも宮原さんの性格。当時、近くにあったラーメン店「赤のれん」の人気ぶりに触発され、ラーメンの提供を思いつく。これも見慣れ、聞き慣れ。豚骨、鶏がらなどをブレンドしてメニューに加えたが、全く売れなかった。

 今の味にたどり着いたのは1970年ごろ。薬院で商売をやっていた親戚から、店を閉めることになったから場所を引き継いでほしいと持ちかけられ、現在の場所に薬院支店を出すことになった。箱崎の店は数年後に閉店する。

 薬院に店を構えた頃、中央区では長浜ラーメンが大流行していた。食べに行ったが「あまり好みじゃなかった」。ラーメン熱に再び火が付いた宮原さんは、自分の味を追い求める。そしてたどり着いたのが鶏がらのみのスープ。部位にもこだわり胴がらは一切使わず、げんこつ(足の関節)だけを煮込んで作り上げる。

 「以来、味はそのまま。今でも週1回は食べますよ」。そう語る宮原さんとラーメンを一緒に味わった。

 茶褐色のスープを口に含むと和風だしと鶏のうま味が広がる。そして、しょうゆのほのかな酸味がその風味を引き立てる。細麺をずるずるとすすり、最後は丼を傾けてスープも完食。丼を置いてふと見ると、宮原さんも最後の一滴まで飲み干していた。そしてこう言った。「うまい」 (小川祥平)

=2015/11/05付 西日本新聞朝刊=

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