民謡編<269>俚謡から民謡へ

西日本新聞

 民謡という言葉を日常的に使用しているが、民謡はどのような歌謡を指すのか。民謡という言葉はいつ生まれたのか、また、どのくらいの数の民謡があるのだろうか。

 1950年に設立された民謡の代表的組織に公益財団法人「日本民謡協会」(本部・東京)がある。現在、2万2千人の会員を擁している。常務理事の鈴木壮有は民謡の定義について「はっきりとした定義はない」と前置きしながら「地域で代々、歌い継がれてきた生活の歌です」と言った。

 民俗学の巨人、柳田国男も『民謡の今と昔』の中で「平民の自ら作り、自ら歌っている歌である」と定義し、次のように記している。

 「民謡を発生せしめたのは、社会であり共通の空気であり場合であった。皆が一様に抱いている感情を、誰かが言い現わしたのである」

 作詞者、作曲者が不詳で、生活、労働の中から自然発生的に生まれて広がった地域の伝承歌というのが最大公約数の定義である。

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 民謡という言葉自体は古いものでなく明治後期に入ってからだ。フォークソングの翻訳語として学術論文から生まれた。それを用語として使用し始めたのは主に民俗学者だったが、柳田自身は「民歌とでも改めた方がよいかも知らぬ」と言っている。

 文部省が全国調査をまとめて1914(大正3)年に刊行した民謡集のタイトルは『俚謡(りよう)集』になっている。まだまだ、この時代は民謡という言葉は一般化していなかった。民謡を指す言葉は俚謡、地方唄、鄙(ひな)唄などと呼ばれていた。民謡という言葉がポピュラーになるのは第2次世界大戦後である。民主主義国家になり、庶民、大衆の文化へスポットが当たるようになった。

 鈴木は民謡の数について「約3万」と言った。これはもちろん推定数であり、概算だ。正確な数はだれも分からない。

 民謡研究家の竹内勉は著書『民謡』(1981年刊)の中で次のように推定している。

 「一県に三〇〇曲から五〇〇曲、岩手、広島のように大きな山懐の深い県で、七〇〇曲近くはあるように思え、日本列島でおよそ一五〇〇〇曲から二〇〇〇〇曲ぐらいの『うた』が、明治・大正・昭和の三代にわたって歌われていたようである」

 仮に2万から3万の曲が存在していた、としても歌う場と歌う人の喪失で現在、歌い継がれている民謡はかなり少なくなっているのは確かである。郷土遺産として各地の保存会の努力によってどうにか命脈を保っているのが現状だ。鈴木は「九州地区は保存会の活動が活発です」と語った。

 =敬称略

 (田代俊一郎)


=2015/12/07付 西日本新聞夕刊=

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