【第2部 「消滅」の衝撃 九州から】<5>雇用創出 都心の磁力にあらがい

西日本新聞

 トヨタ自動車九州の工場(福岡県宮若市)。作業員が携帯端末のカメラで、エンジンの組み立て工程を撮影する。機密が漏れる恐れがあり、撮影には事前に許可が必要だったが、新技術がそのルールを変えた。

 撮影から1分後には、画像が管理部門に自動送信される。手元の携帯端末にデータは残らない。新車開発をベールに包みたい同社と手を組み、“世界初”のこのシステムを開発したのは、福岡県飯塚市のベンチャー企業「トライアート」。社長の今津研太郎(38)=同県中間市出身=が、九州工業大大学院(飯塚市)在学時に創業した。

 最初のオフィスは、広大な空き地の一画に立っていた3階建てビルの一室。市が2003年、塩漬けになっていた工業団地に、ベンチャー企業が低賃料で事務所を置けるよう、約5億円かけて整備した。

 従業員に学生を雇うつもりだった今津にとっては「渡りに船」のタイミング。当時、市の産学振興担当だった梶原善充(65)は「とにかく優秀な学生の頭脳を手放したくなかった」と振り返る。

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 かつて石炭産業で栄えた飯塚市にとって、「産炭地からの脱却」は最大の使命。「われわれは『セブンイレブン』の営業マンだった」。梶原は10人に満たない同僚とともに、午前7時から午後11時まで働いた。

 合併前の旧町を含め、炭鉱跡地などに造成した22の工業団地への企業誘致に奔走。東京の企業関係者から会えると連絡があれば飛行機に飛び乗り、翌朝の始業に間に合うよう帰った。

 それでも-。市内に高速道路のインターチェンジ(IC)はゼロ。周辺町村より、地価は高め。リーマン・ショックによる不況も立ちはだかった。最後に造成した鯰田工業団地がほぼ埋まったのは、景気が上向いた12~14年だ。

 飯塚市は、民間提言機関が指摘する「消滅可能性都市」ではないが、周辺の筑豊地区9市町村が該当する。「飯塚の発展には、筑豊全体をうまくいかせんといかん」。梶原は、筑豊の人口流出を食い止める「ダム」の役割を理解している。

 鯰田団地に進出した企業5社が今春採用する291人の大半は筑豊在住者。卸売会社に就職する近畿短大(同市)の2年和田鮎美(20)もその一人だ。

 実家は隣の福智町。希望する事務職は、筑豊では求人が不足していた。「通える距離で仕事を探していたから」とほほ笑む。

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 一方、九工大大学院の男子学生(25)は昨春、愛知県豊田市のトヨタ本社の九工大OBから「ぜひ来て」と熱心に誘われ、そう決めた。「できれば地元に残りたいけれど、働きたい企業がない」。飯塚市内の3大学・短大では毎年約600人が卒業するが、市内に残るのは50人程度という。

 企業もまた、12年間で飯塚市内に創業したベンチャー101社のうち、残るのは49社だけ。

 トライアートの今津は昨年、マンションと事務所を都内に構えた。飯塚本社と東京をテレビ会議で結ぶが、「やはり取引先は首都圏に集中していますから」。大消費地でもある都心の“磁力”。「母校の学生が財産」という今津は今のところ、本社を動かすつもりはない。 =敬称略

=2015/02/19付 西日本新聞朝刊=

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