民謡編<270>筑後酒造り唄(上)

西日本新聞

 民俗学者の柳田国男は著書『民謡覚書』(1940年刊)の中で2万から3万曲あるといわれた民謡を次のように10の項目に分類している。

 (1)田歌(田植唄(うた)など)
 (2)庭歌(穂打唄など)
 (3)山歌(草刈唄など)
 (4)海歌(鯨唄など)
 (5)業歌(酒屋唄など)
 (6)道歌(馬追唄など)
 (7)祝歌(酒盛唄など)
 (8)祭歌(神迎唄など)
 (9)遊歌(鳥追唄など)
 (10)童歌(子守唄など)

 柳田式分類法は民謡の「憲法」と言われるように75年を経た現在も分類のベースになっている。柳田の分類法則は民謡が歌われた「場所」を基本にしていることだ。

 分類の中の「業歌」は「ある職業に携わる人だけの歌うもの」と定義し、酒屋唄をはじめ大工唄、木挽(こびき)唄、綿打唄などを挙げている。

 「酒屋唄」は「酒造りの職人の歌うもの、また杜氏(とうじ)節ともいう」と記している。

    ×  × 

 福岡県の筑後地方はかつて灘、伏見と並んで日本三大酒どころともいわれ、特に城島地区が本場だった。筑後平野の米と筑後川の水。それに酒造りは農閑期に当たり、農業者の労働力が下支えした。

 同県久留米市に住む「筑後酒造り唄保存会」(40人)の3代目会長、中園収司(73)は言う。

 「城島には戦前まで88の酒蔵があり、筑後だけで約200の酒蔵があったそうです」

 筑後酒造り唄は城島地区で歌われていた民謡である。保存会は1978年に結成された。立ち上げに動いたのは中園だ。24歳ごろに久留米市に民謡教室ができ、そこで母親と一緒に習うことになった。鮮魚店を営む合間の趣味になった。

 「民謡が生活から生まれた歌であることに興味がわき、共感しました」

 ある日、酒造り唄を聴く機会があった。池口森雄と相方の池田信義コンビによる歌だった。

 「本当にうまかった。感動しました。池口さんは実際に酒造りの現場で歌った最後の人だったと聞いています。臨場感がありました」

 酒造りの現場の長は杜氏で他は蔵男(くらおとこ)と呼ばれ、池口は蔵男として農閑期に酒造りに従事していた。

 池口と池田は細々と酒造り唄を伝承していた。中園は「これを守っていかなくてはならない」と保存会を作った。池口と池田はそれぞれ初代、2代目会長を務めた。

 中園は民謡と同時に尺八も習った。酒造り唄は本来、アカペラであったが、自分の尺八を伴奏に付けた。それによって歌が安定した。

 「歌い手の体調などによって歌の高低が微妙に違っていました」

 中園は尺八を取って酒造り唄の中の「米洗い唄」の前奏を吹き始めた。

 =敬称略

 (田代俊一郎)


=2015/12/14付 西日本新聞夕刊=

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