民謡編<271>筑後酒造り唄(中)

西日本新聞

 福岡県久留米市城島地域の酒造りは幕末に本格的に始まったといわれ、西南戦争の「特需」によって酒蔵の数も急増した。西南戦争後は不況に陥り、生き残りをかけて新しい販路を模索した。当時、全国的な人気は神戸の灘の酒だった。

 その灘から1884(明治17)年、杜氏(とうじ)たちを招き、技術指導を受けた。結果的には水質の違いなどによって思うような酒はできなかったが、その挫折の中から工夫を重ね、城島の酒を造りだすことに成功した。

 「筑後酒造り唄(うた)保存会」の会長、中園収司は言った。

 「この時、灘の杜氏は技術と一緒に酒造り唄も持ち込んだ。それが筑後酒造り唄の源流です」

 酒造りはいくつかの工程があり、それぞれの工程に合わせて歌も生まれている。「筑後酒造り唄」は精米した米を洗う作業歌「米洗い唄」から始まる。米をとぐ作業だが、手でなく足を使った。水をはった桶(おけ)の中の米を足で踏む。この作業は「荒踏み」「中踏み」「仕上げ踏み」と三つに分かれている。

    ×   ×

 民謡の主な効用は作業の円滑化にある。中園は「米洗い唄」は「時計の役割を果たしていました」という。

 〈ハア 今が始まり 始まりました ハア ヨイショヨイショ 筑後酒場の米洗いヨ ハア ドッコイ 米洗いヨ ハア ヨイショヨイショ〉

 1番を歌い終えると水を替えて「中踏み」になる。

 〈ハア 酒屋男は 桜の花ヨ ハア ヨイショヨイショ 造りすんだら 散らばらにヨ ハア ドコイ 散らばらにヨ ハア ヨイショヨイショ〉

 歌い終えるとまた、水を替えて「仕上げ踏み」になる。この繰り返しの作業は水温などの関係から夕方から朝方まで続く。

 〈男自慢の唄も出るヨ〉との歌詞があるように、1人が歌うと「おれの方がうまい」とノド自慢大会になる風景もあったに違いない。現在、保存会の資料には13番まで収録されている。もちろん、歌う順番は自由だが、かつてはこのほかにも無数の歌があり、残っていないその場限りのアドリブの歌はさらにあった。中園は言う。

 「米洗いは酒造りの中ではつらい作業だったようです」

 冬の冷たい水に素足での作業。〈朝の洗い場の身の冷やさヨ〉と嘆き、〈酒屋男はアヒルか鴨か…朝も早から水仕事ヨ〉とユーモラスかつ自虐的な歌詞もある。

 こうして洗われた米は次の工程に入る。そこにも歌があった。 =敬称略

 (田代俊一郎)


=2015/12/21付 西日本新聞夕刊=

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