【生きる 働く 第11部】均等って何? 雇用機会均等法30年<2>「仕事も家庭も」欲張り?

西日本新聞

 女性は入社数年で「寿退社」する時代だった。

 男女雇用機会均等法ができる10年前、勝井景子さん(60)=北九州市=は銀行員となった。いくら業績を上げても女性は支店長にはなれない。「女性の多い保険会社なら頑張った分だけ評価してもらえそう」と28歳で転職し、今も勤め続ける。

 つわりでトイレに駆け込めば「たるんでいる」と言い放たれた。夜は職場に敷物を広げ、娘を遊ばせながら残業した。頑張れたのは、目標となる15歳上の女性がいたからだ。「かっちゃんは鍛えるほど応えようとする」と、厳しく育ててくれた。

 女性が働くことは当たり前となり、ロールモデル(先行例)も少しずつ増えてきた。「制度も整って、昔に比べれば女性は生きやすくなってきている」

 女性に「均等」の扉が開かれた時代だった。

 聖子さん(50代)=仮名=は均等法の施行後間もなく、福岡県内でメディア業界に飛び込んだ“第1世代”だ。「自分が頑張らないと後に女性が続けない」。同業の夫と競うように働いた。ベビーシッター代が月14万円に及んだこともある。

 働き続けるため、息子を2度「手放した」。思い出すと今も涙がこみ上げる。

 息子が3歳のとき、東京への転勤話が持ち上がった。断れば「やっぱり女は…」と言われかねない。家族会議を重ね、泣く泣く実家の両親に託した。

 2度目の「別れ」は、息子が私立中学に進学して寮に入ったとき。「まだ小さいのに、よく手放せるね」。男性同僚の言葉が胸をえぐった。誰が望んで手放すものか。もう一生、一緒に暮らせないかもしれないのに。妻に家庭を任せられる人に分かるものか。

 働く上で男女の差なんてない時代だと思っていた。結婚するまでは。

 福岡と関西の遠距離恋愛。仕事を辞めたくなかったが、別居婚は考えられない。年収の多い彼を優先し、里香さん(31)=仮名=は関西で再就職することにした。

 しかし夫は出張が多く、ほとんど家にいない。出産後のことを考えると選択肢は限られていた。総合職で男性社員と変わらぬ仕事をこなしたキャリアがある。「選ぶのはぜいたくなんでしょうけれど」。やりがいを求めると仕事がみつからない。

 学校、会社…。社会のどこにも所属せず、収入もない。自分が存在していないような気持ちになる。結婚して故郷の家族や友だちと離れ、仕事も名字も捨てたのに、夫は何も変わらない。時々、すごく不公平だと思う。

 均等法施行から30年。女性が男性と同じように長時間労働や転勤をこなすことで「均等」は実現してきた。一方で子育てや病気、介護などの事情を抱え、そうした働き方をするのが難しい人の多くは、非正規雇用や家庭という選択を迫られてきた。非正規労働者の割合を施行前年と2014年で比較すると、女性は32%から57%に、男性は7%から22%に増えている。

 「仕事と家庭の両立は欲張りなんでしょうか」。取材では何人もからそんな声が漏れた。

    ×      ×

 ●メモ=働く女性と流行語

 1960年代にOL(オフィスレディー)という呼び名が広まるが、基幹業務を任されたのはごく一部にとどまった。24、25歳までに結婚しないと売れ残る「クリスマスケーキ」にたとえられた時代も。職場に女性が増えるとセクシュアルハラスメント(89年の流行語)が社会問題となる。“男性化”したオヤジギャル(90年)が増え、2000年代にはバリキャリ(バリバリのキャリアウーマン)の晩婚化が進み、未婚の30代は負け犬(04年)と呼ばれた。女性の育休取得率は86%を超える今も、マタハラ(14年)問題は後を絶たない。


=2016/01/06付 西日本新聞朝刊=

PR

くらし アクセスランキング

PR

注目のテーマ