支える 駿の病院で 闘病見守る親の交流団体設立 久山町の内藤真澄さん(51)

西日本新聞

 重い病と闘う子を見守る親は、希望と絶望のはざまで葛藤している。長男を白血病で亡くした福岡県久山町の内藤真澄さん(51)は、そんな親たちの力になろうと、ボランティア団体「すまいる」を立ち上げた。九州大病院で春から、入院中の子の親と、闘病経験がある子の親の交流会を開く。長男が3年2カ月という短い人生の半分を過ごした同病院で、親たちの悩みや不安を和らげる話し相手となるつもりだ。

 内藤さんの長男駿君は2011年11月1日に永眠した。内藤さん夫妻がともに44歳だった08年8月、結婚8年目でようやく授かった命だった。「若くないから『パパ』『ママ』は恥ずかしい」と「お父ちゃん」「お母ちゃん」と呼ばせた。

 駿君は1歳4カ月の時、高熱とせきが止まらず、検査した九州大病院で即入院となった。白血病だった。半年後にいったん退院したが、2カ月後に再発。臍帯血(さいたいけつ)移植で容体が安定したときもあったが、11年5月に再々発し、その後は病院から出られなくなった。幼い駿君のそばを離れられず、内藤さんも病室で寝泊まりした。

 苦しみを軽くしてあげられないのはつらかった。駿君は食事制限され、8、9種類の薬を飲むため、水分もスポイトで数滴しか取れない時期があった。「何か食べたい」「お水を飲みたい」。泣き続ける駿君を前に、内藤さんも「子どもに何も食べさせない母親が食べていいものか」と悩み、食事が喉を通らなくなった。駿君はあきらめたのか泣かなくなったが、笑顔もなくなった。

 秋晴れの日。駿君の呼吸は全速力で走っているかのように荒々しくなった。内藤さんは夫信幸さん(50)と、呼吸がゆっくりと静かになる駿君を抱きしめ合い、最期をみとった。

 駿君が逝って4年が過ぎても夫妻の悲しみは癒えない。「でも病院のスタッフなど多くの人に支えてもらった。駿がつないでくれた縁を大切に、同じ経験をしている人たちの力になれれば」と、すまいるを立ち上げた。

 現在、メンバーは8人。闘病中や闘病経験のある子どもの親たち。毎月1回、小児病棟で交流会を開き、入院している子どもの親のストレスを解消するため、話し相手になったり、患者団体の情報を提供したりする。

 1歳で入院生活が始まった駿君は、2歳でパソコンゲームをし、3歳で数字とひらがなを学んだ。体がきついときも、ベッドに立ち上がって腰を振って踊り、医師や看護師を笑わせようとしていた。「駿は病院で成長した」。内藤さんはつらい思い出も、楽しい思い出も詰まった病院で、新たな一歩を踏み出そうと胸に誓っている。「駿、お母ちゃんを見守っててね」


=2016/01/14付 西日本新聞朝刊=

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