民謡編<274>久留米そろばん踊り唄(上)

西日本新聞

 筑豊出身の民謡歌手、赤坂小梅は全国の民謡をレコード化し、民謡の普及、拡大に大いに貢献した。しかし、やっかみも少しは含まれていたと思うが、常に「節回しも方言のニュアンスも違っている」といった批判にもさらされた。

 小梅はその土地の古老たちに「正調」を習い、それを自分流にアレンジして歌った。あくまで「小梅節」であり、異論がでることはある意味、織り込み済みだったともいえる。レコード会社の販売戦略もあっただろうが、「みなに口ずさまれ、親しまれる歌を」という民謡復権への思いも強かった。

 小梅は1956年、福岡県久留米市の民謡「そろばん踊り唄(うた)」をレコードに吹き込み、一躍、この歌を全国区に押し上げた。作詞は石本美由起、編曲はレイモンド服部。基本的には民謡は作詞、作曲者不詳の伝承歌である。作詞、作曲、編曲者が明記された民謡は「新民謡」と言われる。愛郷心を高め、その土地のPRソングとしての役割などを担って昭和初期から各地で創作されるようになった。

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 「久留米そろばん踊り唄」は純粋な意味での「新民謡」ではない。小梅の歌にもカッコ内に元曲である「久留米機(はた)織り唄」と記されている。

 「作業歌というより明治時代から座敷歌として発展してきたと思う」

 福岡県大川市の「久留米そろばん踊り唄保存会」の会長、鐘ケ江妙美(70)は言った。妙美の兄の侃(あきら)は尺八、姉の和子は三味線。鐘ケ江兄妹はトリオを組んでこの民謡を歌い継いでいる。

 鐘ケ江兄妹の母は三味線、民謡の先生をしていたこともあって3人は物心ついたときから民謡が生活の中にあった。それは今も続いている。

 「機織り唄」は言うまでもなく特産品の久留米絣(かすり)の機織りに由来している。江戸時代末期に生まれた久留米絣は庶民の着物として愛用され、最盛期の昭和初期には筑後地区で年間250万反を生産した。全国から買い付けの商人が久留米にやって来た。兄妹は言った。

 「花街や料亭などの宴席で芸者たちが歌い、それに合わせて商人たちも歌い、商談用に持ち歩いているそろばんを取り出してアドリブで踊ったりしていたと思います。ソロバンを振る音は機織りの音に似ていたから」

 当時の歌詞は男女のエロスを歌った卑猥(ひわい)なものが多かった。それが公序良俗の時代に合った歌詞に化粧直しされて小梅がレコード化したのだ。

 兄妹ユニットの歌に耳を傾けた。陽気で明るい民謡だった。 =敬称略

 (田代俊一郎)


=2016/01/18付 西日本新聞夕刊=

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