民謡編<278>八女茶山唄(下)

西日本新聞

 福岡県八女市黒木町の大淵守は81歳とはとても思えない、若やいだ伸びのある声で「八女茶山唄(うた)」を歌った。多くの民謡の弟子を持つ先生にふさわしい声量だ。

 〈ハヤーレ 縁がないなら茶山にござれ トコサイサイ 茶山茶どころ縁どころ ハーモマシャレモマシャレ トコサイサイ〉

 〈モマシャレ〉というお囃子(はやし)が茶もみ唄であることをよく伝えている。5番まで歌詞がある。ラストの5番は〈今年ゃこれきりまた来年の 八十八夜のお茶で逢(あ)おう〉となっている。歌詞は域内や他の地方からの出稼ぎ労働者との出会いから再会の約束までの、人情味あふれるストーリー性を持った内容になっている。

 「歌詞の順番や調子がばらばらだったのをどうにか整えました」

 大淵はこう言った。地元の音楽教師の協力で採譜し、統一感を作り上げた。大淵はそれに尽力した民謡家だ。

   ×    ×

 大淵と民謡の接点は4、5歳のころである。「茶山唄」ではなく「箪笥(たんす)長持ち唄」だった。そのころ、結婚が決まると花嫁は箪笥、長持ちを持って嫁入りした。この花嫁行列や宴席で歌う祝い歌で、歌い方は集落の青年団が担当した。練習は外に漏れ聞こえないように水位が下がった、ため池の底の部分でしていた。それを見物していた大淵は子どもながら「いいな」と聞き惚(ほ)れた。その後、歌のうまい民謡少年として成長した。

 「親父(おやじ)さんは民謡がうまかったからその血を引いているな、とよく言われました」

 地元の町役場に勤め始めたころに、現在のみやま市瀬高町で開かれた「NHKのど自慢」大会に出場した。

 「町長をはじめ周りが出ろ、出ろと言うので。鐘3つでした」

 このとき歌ったのが「茶山唄」だった。これを契機に民謡の会を発足させ、1983年には日本民謡協会東八女支部を結成した。

 少年時代に見た茶もみの風景はくっきりと記憶に残っている。父を1歳半ごろに亡くした。母親が子どもを育てるために近所の人の手を借りて必死に作業していたことを覚えている。「茶山唄」はこのときの母の面影と重なるのかもしれない。

 「ゆっくりと押して引く。茶もみのリズムを考えて歌っています」

 毎年6月には地元で「八女茶山唄日本一大会」が開かれている。今年で33回目を迎える。

 〈お茶を飲むたびにワシャ思い出す 茶山で結んだ縁じゃもの〉(3番) =敬称略

 (田代俊一郎)


=2016/02/15付 西日本新聞夕刊=

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