【第6部 移住の杜の20年】<1>「理想郷」で共に老い 静けさ、今は寂しさに

西日本新聞

 スギ・ヒノキ林をごそっと削り取ったような山奥の盆地。張り詰めた空気が肌を刺す。草木のかすかなざわめきが、耳に残る。

 記録的大雪から数日たった1月末、ホールと見まがう大きな三角屋根の一室。大岸満(86)は愛用するベージュのハットをかぶり、陶芸仲間と向き合った。

 長い白ひげの加藤定男(93)にほほえみかける。「大先輩、元気で何より。私はまだ足元にも及ばない」。60を超える仲間たちがどっと沸いた。出身地はみな神戸、大阪、神奈川…。ほとんど方言は聞かれない。

 ここは「美奈宜(みなぎ)の杜(もり)」(福岡県朝倉市)と呼ばれる住宅地。不動産開発会社が“ほどよいスローライフ”を求める高齢者を、全国から集めた。

 大岸は元商社マン。大阪、沖縄、ソウル、東京を転々とした。退職後、知人の勧めで働いていた福岡市で偶然、分譲のパンフレットを見つけた。永住の地を探していたものの、出身地の京都、関西は土地が高い。豊かな自然、庭付き、一戸建て-。「老後も安心」という文字に引き寄せられた。入居者第1号として、妻紀子(72)と暮らす。

 仲間と別れ、車で坂道を5分も上れば自宅。たばこを深く吸い、午後3時、雑種の愛犬クロと散歩に出掛ける。クロは11年前、今は福岡市で孫たちと暮らす長男(41)が近所で拾ってきて以来、家族となった。

 足まですっぽり覆うウインドブレーカーを着込み、起伏ある街並みを毎日30分、たっぷり歩く。瓦屋根の一戸建てが並ぶ裸の桜並木。クロの息づかい…。「せわしい都会とは大違い」。大岸が満足する瞬間だ。

 「20年前? まさに陸の孤島だった」。一角に十数戸の新築がひっそり立ち、むき出しの土と造成地がまだらとなり、どこまでも広がっていた。道路に陣取った重機が目についた。

 当時も今も車は必須。みな15~20分運転してスーパーや病院に足を延ばす。街灯は数えるほどしかなかった。開発会社の社員が大きな懐中電灯を手に夜な夜な、辺りを見回った。

 敷地内に整備したゴルフ場や温泉施設を“売り”に、開発会社は主に首都圏の新聞を狙い、分譲広告を打った。大企業の役員、校長OB、医者-。入居者は増え、西洋風の注文住宅もあちこちに建った。春になれば、シバザクラやマーガレットなど50種以上の花で庭を飾る家もある。街の外の市民は「住む世界が違う」とささやきもする。

 ゴルフ場は家から歩いて数分。春になれば、大岸は月4回は通う。「米寿までやる」。6、7人いたサークル仲間は足が遠のいた。近所の一人は入退院を繰り返し、亡くなった。

 紀子が「最近、長距離運転がしんどくなってきた」と言う。買い物に加え、持病の経過観察のため約8キロ離れた病院まで往復する。もともと2台あったうち1台は、数年前に手放した。

 先日回ってきた「自治会だより」に、国が高齢者移住を促進する「日本版CCRC」の動きが載った。“わが街”が先進地と言われても、ぴんとはこない。

 「あっという間」だった20年。「暮らしは80点。甘いかな?」と笑う。“理想郷”の、時が止まったような静けさは、寂しさとも隣り合わせ。この日の散歩でも、子どもとは一人もすれ違わなかった。「…高齢者だけの街は、成り立たないかもしれないね」

 高台からいつものように、クロと並んで街を見下ろす。真冬の日がゆっくり落ち、二つの影が長く伸びた。 (敬称略)

    ■   ■

 九州に20年前、生まれた「高齢者移住の街」は人口減対策の核となり得るか。その実験を通し、考える。

    ◇      ◇

 ■「陸の孤島」からスタート 人口656人、高齢化率56%

 「美奈宜の杜」は大分自動車道・甘木インターチェンジ(IC)から北東へ車で約15分。福岡県朝倉市の丘陵地約127万平方メートルを不動産開発会社の「西日本振興」が造成した。「日本初のシニアタウン」を掲げ、米国を参考にゴルフ場や文化施設を備えた高齢者向けの住宅地を開発。1996年5月のオープンから今年で20年を迎える。全804区画のうち7割が売れ、昨年末現在、323世帯656人が暮らす。県外からの移住者が5割以上。高齢化率は56%。子育て世代は全世帯の1割。

 この丘陵地はもともと旧甘木市が大学誘致を検討し、購入した市有地。誘致が頓挫した後、シニアタウン構想が浮上した。2004年からはグループ会社の「西日本ビル」が街の運営、管理を手掛ける。

 高齢者の地方移住をめぐっては政府の有識者会議が昨年、「継続的なケアが受けられる退職者向けコミュニティー」を意味する「日本版CCRC構想」を提唱、移住を後押しする報告書をまとめた。美奈宜の杜は先行事例の一つとして注目され、政府関係者の視察も相次いでいる。

=2016/02/06付 西日本新聞朝刊=

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