【第6部 移住の杜の20年】<2>模索 暮らしの「安心」求めて

西日本新聞

 ドスン-。1月下旬の深夜。シニアタウン「美奈宜(みなぎ)の杜(もり)」(福岡県朝倉市)に1人で暮らす原之園マツエ(78)は、屋根から雪が落ちる音で目が覚めた。近所からも夜通し、聞こえた。

 一夜明け、辺りは一面雪景色。自宅前は10センチ以上積もり、通りにタイヤの跡もない。電話が鳴った。「大丈夫ですか。お困りのことはありませんか」。タウン内にある販売会社の事務所から、女性社員の声だった。ほっとした。

 同社は分譲の売り文句に「安心」を掲げた。各世帯には同社が委託する警備会社のサービスを利用してもらい、首に下げられる非常通報器を渡した。ボタン一つ押せば、警備員が24時間、自宅に急行する。「SECOM」の警備車が毎夜、街中を巡回する。「販売会社がここまでケアする街は、全国にもないのでは」

 母を気遣う福岡市の一人息子(50)から促され、鹿児島市から移り住んで12年。絵はがきなど週に3回のサークルは楽しい。でも。終(つい)の棲家(すみか)かと聞かれれば「そうはならない」と思う。

 朝倉市の高齢者向けケアハウスで暮らす兵庫出身の男性(83)はかつて、美奈宜の杜に住んでいた。

 20年前の街開きと同時に注文住宅を購入したのは、販売員から「いずれ店も病院も介護付きマンションもできる」と聞いたからだ。

 既にバブル経済は崩壊していた。住宅は思ったように増えなかった。歩いて10分程度の場所に1軒、パンや洗剤など日用品を売る小さなスーパーはできた。住民のほとんどが車生活。約10年で閉店した。

 妻を含めて運転をしない住民の「足」も同じ。市中心部と山間部をつなぐ路線バスの停留所、販売会社が運行した市役所やナフコ、ジャスコ(現イオン)など15カ所を回る1日15便往復のシャトルバス…。いずれも利用は少なく、開設されては消えた。

 「俺に何かあれば、妻に迷惑かけるしなあ」。10年で引っ越しを決めた。

 老老介護を案じる子どもから東京に呼び戻された夫婦。妻を亡くし、施設に移った男性。年に5、6世帯が新天地を諦める。「夢破れて山河あり、だよ」。ある70代の男性は販売会社への不満を隠そうとしない。

 「まだ発展途上の街。住民と話し合い、何が必要か考えて行動に移したい」。販売会社部長の増田和彦(63)は口元を引き締める。

 緑と白のキャップに「杜のオアシス」の青い文字。ある一戸建ての玄関で5日午後、仲間2人と郵便受けを設置していたのは堤忠宏(74)。住民による有償ボランティア組織の代表を務める。通称「お助け隊」は8年前に発足した。お年寄りから要望があれば、照明の取り換えやペンキ塗りも請け負う。

 出身はばらばら、当初はしがらみを嫌う人も多かった美奈宜にも、自治会が2002年に発足。「不平だけ言っても始まらない」。販売会社への反発心はそのまま、「共助」の意識に変わった。安否確認を兼ね、1人暮らしの高齢者宅に有志が弁当を配る「楽食」の取り組みも始まった。

 お助け隊のこの日の代金は3人で1時間働き800円。「私じゃ無理。いつもありがとう」。依頼した女性(80)が切り分けたリンゴを頬張り、3人は「最高」と目を細めた。 (敬称略)

=2016/02/07付 西日本新聞朝刊=

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