民謡編<279>矢部民謡の父

西日本新聞

 福岡県八女市矢部村に旧矢部中学校の校舎をそのまま郷土資料館にした「杣(そま)のふるさと文化館」がある。かつて生徒が学んだ教室はテーマ別に整理され、無料で一般客に開放されている。「民謡」と記された教室には民謡関係の蔵書も含め充実した内容の展示が並び、民謡を財産として大事にしていることがよくわかる。

 この教室の資料群の中で中心を占めるのは、矢部民謡の父と敬愛されている栗原晨護だ。栗原は1900年にこの地で生まれ、76年に他界した。栗原は教師、役場職員として働きながら地元の民謡を掘り起こし、開拓し、伝承した。「民謡を伝承する会」の栗原敏彰(81)は言った。

 「晩年の晨護さんと交流がありました。晨護さんが吹き込んだ矢部の民謡をテープでいただき、擦り切れるまで聴いて民謡を学びました」

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 栗原晨護を、矢部の民謡を一躍、全国的に有名にしたのは54年の全国民俗芸能大会である。晨護は福岡県代表として八女の茶山唄(うた)を歌い、惜しくも優勝は逃したが、準優勝に輝いた。優勝したのはその後、歌謡界にデビューする演歌の大御所の三橋美智也だった。

 晨護はこれを契機にラジオや各地の民謡大会などに出演し、3年後にはキングからレコードもリリースしている。

 国民的な民謡歌手だった赤坂小梅に茶山唄を教えたのも晨護だった。72年ごろの、当時の記念写真が教室に展示されている。

 栗原の孫である矢部公民館長の栗原浩暢は歌っている姿を記憶している。

 「風呂場や茶畑でよく歌っていました。趣味のバイオリンを演奏しながらのこともありました」

 晨護は17、18歳のころからバイオリンを練習していた。モダンな民謡歌手であった。

 「矢部民謡の父」と言われるのは華々しい活動だけでなく、さまざま民謡をそれぞれ形にまとめ上げたからではないだろうか。敏彰は言う。

 「民謡はそれぞれ集落ごとに歌詞も調子も違っていたのを晨護さんがまとめました」

 晨護は民俗学者のようなフィールドワークで地道に郷土の民謡発掘に取り組み、「スタンダード」を作り上げた。『日本民謡大観』(日本放送協会編)には晨護が提供した公卿(くげ)唄、茶山唄、嫁入り唄、子守唄、田植唄、米搗(つき)唄、木挽(びき)唄など10の民謡が収録されている。矢部が民謡の宝庫だったことがわかり、また、晨護が伝承しなければ消えてしまった民謡もあったに違いない。

 教室には三橋美智也と伍(ご)した晨護の歌う民謡が流れている。 =敬称略

 (田代俊一郎)


=2016/02/22付 西日本新聞夕刊=

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