民謡編<280>矢部の木挽き唄

西日本新聞

 福岡県八女市矢部村の矢部公民館で今月6日、地域活性化の一つとして「公民館まつり」が開かれた。今年で5回目になり、地区民が参加してのステージではさまざまな出し物があった。この中で「矢部民謡を伝承する会」は木挽(び)き唄などを披露した。

 矢部は「杣(そま)の里」と呼ばれる。杣とは木こりのことで、山間地の主力産業は林業だった。

 木を切り、製材する山仕事は作業歌として木挽き唄を生むことになる。「茶山唄の元調は木挽き唄だった」との指摘がある。木挽きも茶摘みも同じ山仕事であり、それが重なり、響き合い、こだますることはむしろ自然な成り行きだった。

   ×    × 

 この日、会では5人が代わる代わる木挽き唄を歌った。そのトリは94歳の栗原一郎だった。

 〈32枚の諸刃の鋸(のこ)で 挽くはお上の御用の板〉

 木を挽くノコの刃数は32枚だった。実際に模造の木材とノコを挽いて作業を再現しながら歌った。一郎は言った。

 「作業歌ですからノコを挽くリズムに合わせて歌っています。どこの木挽き唄も同じ調子です。広島の木挽きさんが伝えたようです」

 木挽きという製材工程は伐採と違って技術が要求された。木挽き職人の一大供給地は広島だった。

 『日本民謡大観』(日本放送協会)の中では次のように記されている。

 「広島地方の広島木挽きが…中国、四国、九州に出かけた置き土産の木挽き唄で、そのため(地域的な)特色はなく、強いていえば個人差がある程度」

 〈木挽きさんたちゃ 大名暮らし 山の峠に陣構え〉

 渡りの木挽きは峠の山小屋を「陣」に例え、そこで寝泊まりした。

 〈山の中でも三軒屋でも 住めば都よわが里よ〉

 かつては非定住の木挽きたちが九州の山仕事を支えていた。〈大名暮らし〉〈住めば都よ〉と半ば自嘲的に歌っているが、艶っぽい粋な歌でも自分を慰めたに違いない。

 〈木挽きゃ 木を挽くばかりと思うや 時には娘の気をひく〉

 木の国の職人としての自負もあった。

 〈木挽き この世になければ困る 神も仏も雨ざらし〉

 矢部の木挽き唄が現在でもまとまった形で伝承されているのは矢部民謡の父と言われた栗原晨護の功績だ。会の栗原敏彰(81)は「晨護さんの残したテープで覚えました」と言った。その敏彰も歌った。

 〈なんぼ良うても 木挽きさんにゃイヤよ 仲の良い木を挽き分ける〉

 =敬称略

 (田代俊一郎)


=2016/02/29付 西日本新聞夕刊=

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