民謡編<281>伝承される公卿唄

西日本新聞

 作業歌、労働歌である民謡は、手作業の現場に一度、機械が入り込むと一夜にしてはかなく消えていく運命を背負っていた。何百年も口承によって歌い継がれた歌が一瞬にして途絶える。永遠に失われた民謡は数知れないだろう。どうにか現在も生き残っている民謡の多くは各地の「保存会」のメンバーたちの「後世に伝えていく」という無私の情熱に支えられている。

 これまでに紹介した「筑後酒造り唄(うた)」「関の鯛つり唄」「鯨骨切り唄」なども保存会の手によって守られている。しかし、どこの保存会も高齢化が進んでいるのが現状で「若い人が入ってこない」という共通の悩みを抱えている。

 昨年11月、大分県の国東半島の「海老打ち唄」を取材に行ったときはすでに歌う人はいなくなっていた。同じ国東の「まてつき唄」は形として保存会は残っているが、メンバーの減少によって活動は休止状態に追い込まれている。そのような中で若い世代に向けた伝承への努力が続けられている地域がある。福岡県八女市矢部村もその一つだ。

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 先月、矢部村で行われた「公民館まつり」で珍しい曲名の「公卿(くげ)唄」が披露された。

 〈こちの座敷は ヤーヤーエ 祝いの座敷 鶴と亀との舞い遊ぶ〉

 伝承によれば今から650年前ごろ、後村上天皇の皇子が矢部村に来たときのお供だった京都の公卿が伝えた祝い歌といわれる。

 このまつりで大人に交じって前列に正座して歌ったのは矢部小学校の1、2年生たちである。児童たちの祖父母の時代、結婚式などのめでたい席では必ず歌われた民謡だった。

 公卿唄の指導は「民謡を伝承する会」の山口久幸(69)が担当した。そのきっかけは八女市教育委員会からの相談だった。

 「ふるさとの文化と歴史を学ぶ一環として公卿唄を教えてほしい」

 山口は昨年9月から指導を始めた。児童も熱心だった。

 「会の思いと学校教育の方針が一致した。会だけの活動では広がりに限界がありました」

 児童たちは学校だけでなく家でも練習した。その姿に親たちも公卿唄に興味を示した。ある集落では今年の新年の集まりではみんなでこの公卿唄を歌った。かつての風景がよみがえった。

 学校教育と保存会とのタイアップ。この形が郷土遺産の民謡を後世へ伝承していくためのモデルケースといえるかもしれない。 =敬称略

 (田代俊一郎)


=2016/03/07付 西日本新聞夕刊=

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