<34>泉都に愛される滋味スープ ラーメン大学(大分県別府市)

西日本新聞

 「モヤシ多めね」「軟(やわ)麺にしてやって」。大分県別府市の「ラーメン大学」の厨房(ちゅうぼう)では、来店があるたびに2代目店主の木船正典さん(71)の声が響いていた。鉄輪(かんなわ)温泉のほど近く。多くの観光客でにぎわう地域だが、店に来るのは9割方が地元客だという。

 記者も大分勤務時代、別府を訪れるたびに立ち寄った。久しぶりの一杯は変わらない黄色味を帯び、透明感を残したスープ。一口すすると、じんわりと豚骨の滋味が染みわたる。「うちのスープは引き算でね」と木船さん。豚骨のみを使い、骨も丁寧に血抜きする。煮込んでもアク抜きを欠かさず、脂も取り除く。余計なものをそぎ落とすから「引き算」。あっさりだが決して薄いわけではない。

 一風変わった店名の由来は? 前から気になっていたので尋ねると、店の成り立ちともかかわっていた。

 創業したのは妻、真寿美さん(66)の叔父、望月国弘さん(故人)。警察官を定年退職し、ラーメンづくりを独学。1960年に別府駅近くで屋台を始めた。その時、雇ったアルバイトが大分大や別府大の学生ばかりだったから「ラーメン大学」にしたそうだ。

 泉都は人であふれていた。一方でラーメンはまだ珍しい時代。すぐに売れた。望月さんと同じ家で暮らしていた真寿美さんは中学生の頃からネギ刻みなどを手伝った。「1日700杯くらい出てましたよ」と往時を振り返る。

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 「サラリーマンをしよっても家も買えんと思ってね」。真寿美さんと結婚当時、会社勤めをしていた木船さんは、屋台の繁盛ぶりを間近に見て決断した。25歳で脱サラし、望月さんに弟子入りした。

 師匠の口癖は「舌で覚えろ」。一から十まで教えてくれるわけではない。それでも見よう見まねで覚え、仕込みも任されるようになった。76年には屋台を引き継ぎ、その5年後には店舗を構えた。

 厨房に目をやると長男の浩史さん(40)が忙しく動き回っていた。父親の元で働き始めて12年。木船さんは「そろそろ息子夫婦に代を譲ってもいいかな」。毎日の仕込みもこなす浩史さんは「僕が生まれた時からこの味だから。先々代から引き継いだものを守っていきたい」と話す。

 取材の最後に写真撮影。2世代がカウンター内に並んだ際、木船さんが抱っこしていた孫の羽海(うみ)ちゃんを、常連客が自然に預かってくれていた。店とお客との距離が近い。

 新しい味を追い求める。支店を広げる。ラーメン店にはいろいろな形があっていい。派手さはなくても地元で親しまれ続ける、こんな店ものれんを継いでずっと残ってほしい。
 (小川祥平)

=2016/03/03付 西日本新聞朝刊=

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