民謡編<282>労働支えた山師音頭

西日本新聞

 「矢部にこのような民謡があることを初めて知った。大変な労働であることがわかりました」

 福岡県八女市矢部村の矢部中学1年生の坂井禎宗(13)はこう言った。

 「民謡を伝承する会」が今月3日に地元で開いた民謡「山師音頭」の実演には同中の1、2年生が参加した。坂井はその一人だ。

 山師は切り出した木の丸太を山から手作業で運び下ろす労働者のことである。かつては7、8人で一つのグループを作っての共同作業だった。

 大木の下にコロ(枕木)を敷き、ナギナタのような道具の「ツル」で木を浮かせ、ツルハシに似た「トビ口」で木を刺して引き下ろす過酷な肉体労働だ。

 「山師音頭がなければ作業はうまくいかなかった。昭和30年代まで歌っていました。危険な作業でケガをするものも少なくなかった」

 この日、実演した一人、栗原稔(88)は実際に山師の仕事の経験者だった。林業は江戸末期から矢部村の主産業だった。会の山口久幸は言った。

 「最盛期には山師のグループは数百くらいあり、グループによって歌詞、調子は少し違っていたようです」

 民謡は作業を円滑にするためワークソングではあるが、とりわけ、山師のような力仕事にとっては必要不可欠だった。栗原は笑いながら言った。

 「酒が飲めんやつと歌が下手なのは山師じゃないと言われた」

   ×    ×

 山師音頭は船頭と呼ばれるリーダーがいた。この日は栗原が船頭役になった。まず、栗原が一フレーズを先導する。

 〈私の音頭は早うして 遅うして〉

 これに他の作業者が復唱しながら丸太を引き下ろす。

 〈やりにくかろうがよ 辛抱してくれ〉

 復唱。これを繰り返しながら数ミリ、数センチと移動させてゆくのだ。1日かけてもあまり動かない大木もあった、という。次のような歌詞もある。

 〈そらそら乗ったぞ 栗毛(くりげ)の駒に いったんここらで 短いキセルで長々 吸おかよ〉

 馬車やソリの木馬(きんば)の待つ場所まで運び、一服した。山師音頭は山師の労働と濃密に結びついた山歌だった。

 実演では会のメンバーが切り出した直径60センチ、長さ10メートルのスギの丸太を使用した。栗原たちに交じった坂井たち生徒との共同作業で丸太は10センチずつ動いた。

 〈端を持ち上げろ 端さえ 浮かすりゃ 木は行くものじゃて〉

 民謡を若い世代へ。丸太だけでなく、民謡の伝承も少し動いた杣(そま)の里だった。

 =敬称略

 (田代俊一郎)


=2016/03/14付 西日本新聞夕刊=

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