<35>IPPUDOを世界基準に 博多一風堂(福岡市中央区)

西日本新聞

 東京の歌舞伎座近くにある「博多一風堂 銀座店」に入ると、イタリア人らしいグループがラーメンを食べていた。その隣は中国人だろうか、もちろん日本人もいる。福岡市で生まれたこの味は、今や「IPPUDO」ブランドとして世界で受け入れられている。

 河原成美さん(63)が創業したのは1985年。歴史を振り返るには、さらに6年さかのぼる必要がある。

 「芝居か、飲食か。分かれ道だったね」。26歳。学生時代から続けていた役者の夢があった。一方でコックなども経験し、ちょうど空き店舗の話も舞い込んでいた。選んだのは飲食業界。博多駅近くでレストランバー「アフター・ザ・レイン」を開いた。「やってみると店って舞台と似てる。どうお客さんを楽しませるかだ」

 「33歳までにもう一店」を目標にした。ラーメン店を選んだのは「好きだけど入りづらい」というバーの女性客の言葉だった。「かっこいい環境で女の子が食べられるラーメン店を作りたい」。バーの傍ら「長浜一番」(福岡市)で1年間修業。そして同市・大名に「博多一風堂」をオープンした。

 その5年後、記者も中学生時代に初めて行った。木調の内装でBGMはジャズ。豚骨だけでなく、しょうゆ、みそもあった。ラーメン界に吹き込んだ新風を感じた。

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 河原さんは、自身のラーメン人生を10年単位で区切る。最初は勉強の期間。次は飛躍。そのきっかけは94年の新横浜ラーメン博物館(横浜市)への出店だった。居酒屋などにも手を伸ばして「目標を見失っていた」ころ。

 だが新しい環境で「毎日が創業」と働くことで一変した。従来のスープを熟成させ、より深みを出した「白丸元味」、辛みそやマー油を加えた「赤丸新味」を発案して看板メニューに。ラーメン職人全国ナンバーワンを決めるテレビ番組で優勝したことで知名度も全国区になった。ラーメン以外の店は徐々に手放した。

 次の10年は海外への挑戦だ。2004年の中国を皮切りにニューヨーク、ロンドンなどに出店。今年2月にはパリ進出を果たした。

 昨年創業30年を迎えた。さらなる10年の目標は何なのか? 「世界でラーメンといえば『一風堂』と言われるような基準の一つになりたいね。そして大勢の思い出の味に」

 その言葉をかみしめて食べると、記者の思い出もよみがえってきた。東京での学生時代、既に進出していた一風堂によく行った。20年がたち、銀座で食べる味。豚骨の濃厚さがありながら、元だれがきっちりとまとめて雑味もない。麺は歯応えを残す、安定感ある一杯だ。「常に改良している」という味は当時とは違うはず。でも、どこか懐かしくもあった。 (小川祥平)

=2016/03/17付 西日本新聞朝刊=

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