【動画付き】零戦、特攻基地跡の鹿屋を飛行 主催者「優れた技術と平和考える機に」

西日本新聞

 太平洋戦争末期、世界最高水準の軍用機と言われながら多くが特攻機として出撃した零式艦上戦闘機(零戦)の復元機が27日、海上自衛隊鹿屋航空基地(鹿児島県鹿屋市)で試験飛行をした。

(湯之前八州記者撮影 ※動画の音量にご注意ください)

 かつて最大の特攻基地があり、多くの若者の出撃を見送った空を71年ぶりに舞う姿に、関係者は深い感慨とともに「零戦を生んだ時代背景と平和の尊さを考えてほしい」と訴えた。

 機体は、激戦地だったパプアニューギニアで1970年代に発見。米国などでエンジンを載せ替えて修復後、映画撮影などに使われていた。ニュージーランド在住の会社経営石塚政秀さん(54)が2010年に買い取り、日本での飛行を計画。使用可能な飛行場を探し、鹿屋基地での国内初フライトとなった。

 この日、機体はエンジン音をとどろかせながら基地上空を2度、計22分間飛行。雲間を旋回し、高度1500メートルまで上昇した。飛行が無事終わると関係者は握手を交わし成功を喜んだ。操縦した米国人スキップホルムさん(72)は「軽やかなフライトができた」と性能をたたえた。

 「日本人は欧米の航空技術を導入して10年で零戦を作り上げた。日本人に誇りと自信を感じてほしい」。それが石塚さんが国内での飛行を目指した理由だった。自宅や所有する牧場を売り、5億円もの私財を投じ計画を進めた。ただ、零戦は多くの若者を死に追いやった兵器。本来は昨夏の飛行予定だったが、安全保障関連法論議の影響で「戦争賛美と誤解を受ける」と撤退するスポンサーが相次ぎ、計画断念の危機に陥った。しかし経費を工面し計画飛行までこぎつけた。「零戦は戦争の象徴のように見られているが政治が技術の使い方を間違えた。平和の在り方を考えるきっかけにしてほしい」と話す。

 鹿屋市の串良基地から出撃し、不時着で生還した元特攻隊員の船川睦夫さん(89)=鹿児島市=は「特攻は愚かな作戦だが、隊員は純粋な思いで死んでいった。多くの人が零戦を見て、特攻について深く考えてほしい」と願った。

=2016/01/27 西日本新聞=

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