<36>父が師匠、2代目のこだわり 秀ちゃんラーメン(佐賀県白石町)

 「中学2年の時に『店を継ぐけん』って宣言したんです」。佐賀県白石町にある「秀ちゃんラーメン」の2代目、山崎亮さん(39)はそう振り返る。しかし、人生とは思い描いた通りに進まないものだ。父、秀明さんの下で修業したが、まず選んだのは独立という道だった。

 始まりは1985年。脱サラした秀明さんが佐賀市の長浜系ラーメン店で学び、福岡県久留米市に店を構えた。屋号は「長浜ラーメン」。苦労し、味を徐々に改良した。4年後、秀明さんの地元である白石町へ移転し、名前も変えた頃から繁盛し始めた。その様子を見てだろう。山崎さんは“後継宣言”した。

 高校卒業後、料理の道に入った。「店で出せたら」と中華を選び、横浜中華街や福岡市のホテルなどで計4年間修業。だが実家に戻り、働き始めると店を継ぐ気持ちは薄らいでいった。「台拭きの置き場所とか、ささいなことで衝突する。自分の店を持ちたくなった」。2002年、佐賀市に「拉麺(ラーメン)公司ある」を開いた。

 本当の意味で師弟となったのはそれからだ。「独立するとおやじのすごさが分かった。経験の違いです」と山崎さん。秀明さんも弟子を気にかけ、店の常連客から「息子さんのとこのスープが薄かった」と聞けば見に行った。「拉麺公司」が1年ほどたったころ、師匠が言った。「うまくなったよ」-。

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 04年1月15日朝、店で仕込み中に妻、智美さん(42)から電話があった。「お父さんが倒れた」。くも膜下出血で、3日後に帰らぬ人となった。53歳という若さだった。

 当時、自分の店も軌道に乗り、家を継ぐことは全く考えていなかった。しかし「店のおかげでぼくら家族は生活ができた。恩返しをしたかった」。悩んだ末、自分の店をたたみ、実家に戻った。

 2代目として“40歳で5店舗”を目標に掲げた。30歳代半ばでは佐賀市に別のラーメン店や鳥料理店を出した。しかし「人に任せられない。自分で店に行くようになり、本店との両立が難しくなった」。2年ほど前までに全ての店をたたんだ。「おやじも夫婦でやれればいいと言っていた。今は店の数より、こだわりの1店舗で勝負しています」

 渾身(こんしん)の一杯。泡だった茶褐色のスープをすする。豚骨のうま味、コクを元だれがきっちり際立たせている。合わさるのはつるりとした食感で歯応えも残した細麺。元だれ控えめの滋味な味わいで、軟らかめの麺が主流の佐賀ラーメンとは一線を画する。

 店を出る際、壁に麺上げ用のざるが飾られているのが目に入った。「おやじが使ってたものですよ」 (小川祥平)

=2016/04/07付 西日本新聞朝刊=

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