移住2世「島」再生へ 先駆者の父追い「地域守りたい」 能古島在住・水谷さん

西日本新聞

 人口流出が続く農漁業の島で、移住者「2世」が空き家への移住促進に汗を流している。博多湾の能古島(福岡市西区)に住む建築家の水谷元(はじめ)さん(34)だ。島の自然にほれ込み、神戸市から移り住んだ父はかつて、海を隔てた住宅地「シーサイドももち」(同市)の設計を手掛けた。大型開発から人口減少時代に入り、まちづくりの手法は異なるが「地域の暮らしを守りたい」との思いは、父と少しも変わらない。

 島の渡船場から徒歩約5分、一戸建ての空き家。長女(2)と福岡市南区のマンションから移り住む30代の夫婦は引っ越し真っ最中だった。「順調に進んでいますか」。元さんが笑顔で声を掛け、一緒にテーブルを運ぶ。「こんな広い家に住めるなんて」と夫婦。元さんの頬が自然と緩む。

 元さんは3年前に住民らで設立した「能古島みらいづくり協議会」の副会長。島の空き家を回り、移住希望者に提供できるか点検し、移住者のサポートもする。父の頴介さんも建築家で、ももちの住宅設計プロデューサーだった。母、姉と家族4人で島に越してきた当時、まだ4歳だった。

 11歳の時、父が他界。悲しみに暮れ、神戸の実家に帰ろうか迷っていた母、明子さん(77)の心中を見透かしたように「自分の家はここしかない」と言い張ったという。「覚えてないけど子どもながらに島に愛着を感じていたんでしょう」

 大学まで建築の勉強に明け暮れ、九州内外でまちづくりに携わった。2010年、島に建築デザイン事務所を設立。「これまでの経験を生かせれば」と協議会にも参加した。

 民家、旅館、飲食店…。空き家は比較的新しいものから築40年までさまざま。両親に連れられて行った居酒屋はもうない。地権者のほとんどが島を離れ、移住希望の25組のうち、実際に移住が決まったのは2組だけ。「まだこれから。地道にやり続けるしかない」

 尊敬する父の論文に「まち住区(じゅうく)」という言葉がある。ももちなどバブル期の大規模都市開発を手掛けつつ、住まいと働く場所を同じにした「まち単位」での住民の暮らしを重視する考え方を提唱していた。自身も理想とする地域の姿だ。

 明子さんは今、自宅の父の書斎を改装した喫茶店を経営。後に越してきた叔母の新谷京子さん(74)が手伝い、島で取れた魚や野菜を使った料理が好評という。福岡タワー、ヤフオクドーム…。窓からももちの街並みが一望できる。「都会に近く自然が豊か。こんな所はない」と元さん。「移住者も含め、みんなが誇りを感じる島にできれば」。家族でコーヒーを飲みながら、対岸の明かりを見つめた。

=2016/04/13付 西日本新聞朝刊=

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