民謡編<289>炭坑節(下)

西日本新聞

 福岡県田川出身の芸者歌手、赤坂小梅が1951年にスタートしたNHKの紅白歌合戦に出場したときに歌った曲は「三池炭坑節」だった。

 〈月が出た出た 月が出た ヨイヨイ 三池炭坑の上に出た〉

 炭坑節は田川市の〈三井炭坑〉になっているが、三池炭坑節では大牟田市の〈三池炭坑〉になっている。炭坑節が広まるにつれ、多くの炭坑では「三井炭坑」の歌詞のところを自分の炭坑名に替えて歌った。替え歌は民謡の特徴でもあり、ある意味、替え歌が無数にできるほど炭坑節は親しまれていた。

 戦後、三池炭坑節がラジオ、レコードなどのメディアに露出し、大流行した。三池炭坑を管理した進駐軍が歌ったことも流行に一役買った。それが本場論争を引き起こすことになる。

 炭坑節発祥の地は田川か、大牟田か。田川生まれの小梅はどのような気持ちで三池炭坑節を歌っていたのだろうか。「三井炭坑、三池炭坑のところは〈うちの炭坑〉と歌っていたこともあった」と配慮した話もある。

 決着をつけるために田川市、大牟田市の両市長が62年に会談した。日本民謡大観(日本放送協会編)では「伊田(田川市)を本家、三池を分家として手を打った」と記している。

   ×    ×

 〈言葉野卑でも俺たちは これで純情な山男 うそと思うならほれてみな 熱い涙が胸にある サノヨイヨイ〉(新炭坑節)

 炭坑節の流行にあやかってレコード会社は新、新々炭坑節を次々に発売して民謡は流行歌化していく。古賀政男作曲の別の新炭坑節もある。炭坑節の語り部の原田巌は苦笑する。

 「炭坑節はもともと、女唄(うた)でしたが、勇ましい男唄になったりしています」

 盆踊り歌としても広まるのもわかりやすい踊りがついていることだ。田川市石炭・歴史博物館の副館長、森本弘行は言う。

 「現在の踊りの形は戦後、舞踊の先生を招いて考えたとも聞いていますが、戦前から踊りはあったようです」

 踊りの中にスコップで掘るような仕草(しぐさ)がある。現場で掘る道具はスコップではなく、ツルハシだった。

 「ツルハシを横にした形で、掘る仕草で踊っていたという人もいました」

 このように炭坑節にまつわるエピソードは事欠かない。炭坑節への坑道はいくつも枝分かれしている。言い換えれば、それは日本近代化を背負った石炭産業の広さと深さを物語るものだ。

 炭坑節発祥の地の田川では毎年11月、炭坑節まつりが開かれている。 =敬称略

 (田代俊一郎)


=2016/05/09付 西日本新聞夕刊=

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