組み体操(4)記者ノート 「人間ピラミッドのなぞ」

 春の運動会に向け、各学校では練習が本格化している。

 「現状では児童生徒の安全が確保されない」として、全市立校に「組み体操禁止」を通知した福岡市。ヨシダ教諭(45)=仮名=が勤務する中学校でも13日、3学年縦割りの青、赤、黄色の3チームが編成され、結団式があった。

 「いつもは当たり前のようにやっている運動会が、今年はそうではない。地震の被災地、熊本では、運動会を開けない学校もある」。生徒代表はそう話し「頑張って良かったと思える運動会にしよう」と呼び掛けた。

 生徒たちは16日からチーム別の練習を始めた。組み体操に代わるマスゲーム(集団演技)も、チームごとにアイデアを出し合い、作り上げていく。

 「運動が苦手な子、運動会に参加したくても参加できない子もいる。みんなが一つになろうとせず、一つの方向に向かっていく。運動会って、そんな学びの場だと思う」。ヨシダはそう話す。

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 ところで、この組み体操。いつごろから、どんな形で広まっていったのだろう。

 スポーツ庁の学校体育室に問い合わせると「よく分かりません。1951年の学習指導要領(国が定めた学習内容)には載っているのですが、今はもう載っていませんから」。

 図書館でも調べたが、はっきりしない。ただ、いくつかの書物をめくると、高度経済成長の1960年代、国民体育大会のマスゲームで、組み体操に似た演技が実施されていたことが写真で分かる。

 「大きいことはいいことだ」のテレビコマーシャルが流れ、東京五輪に沸き返った時代だ。そんなことがきっかけで、各地の学校に広まっていったのかもしれない。

 取材をして初めて、組み体操の構造が、昔とは様変わりしていることも知った。

 50代後半の私やヨシダが小中学校時代、取り組んだ「ピラミッド」は、四つんばいになった人の背中に、人が丸ごと載っていくスタイルだった。だから、せいぜい4、5段。

 だが、今の児童生徒たちが取り組んでいるのは、中腰になって半身で乗りかかるスタイル。それで10段ピラミッドが可能なのだと、分かった。

 「ピラミッド」や「タワー」は、構造を変え、高層・巨大化していった。それはこの10年の現象とされる。そして時代はいま、あれこれ迷走気味ながら、2020年の2度目の東京五輪へと突き進む。

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 ただ、年間8千件超にも達する組み体操事故は、単なる巨大化だけでは説明できない。

 その要因として、福岡大学スポーツ科学部の田口晴康教授(体操競技)は「幼少期の体験不足」を指摘する。最近、気になるのは「手をついて、柔らかく転ぶ」という動作。「これができない子どもが目立つ」という関係者が少なくないという。

 田口教授は「子どもたちはかつて野原や空き地を駆け回り、鉄棒や登り棒、ジャングルジムなどで遊び、知らず知らずのうちに、痛い経験を通じ、回避行動を学んでいた」と話す。

 〈「見て見ぬふりをふる」というよりも、「見ぬふりをして見る」、そんなまなざしがかつての地域社会には充満していた〉。哲学者の鷲田清一さんは、エッセーにそう記す。

 教員と児童生徒、あるいは児童生徒同士に「見ぬふりをして見る」というまなざしがあれば、いくつかの組み体操の事故は回避できたであろうし、これだけの「禁止拡大」の動きにもならなかっただろう。

 組み体操をめぐる混迷は、危機管理のあり方ばかりではなく、そんな時代や人間関係の変化も映し出しているように思えた。

 ■読者からの意見

 「『みんなで一緒にやり遂げる達成感や教育効果』。そんな理屈以前の物理的な問題。このような造形物をみんなで一緒になってやり遂げることを強制するような環境自体が、教育の多様性を損なう。団体演技に喜びを見いだす児童生徒もいれば、そうでない者もたくさんいるでしょう。物理的に危険で、過去に重大事故が繰り返し起きているような課題を、命を懸けて挑む必要はないと思います」

 「子どもたちが、危険を判断できるような人に育つためにも、その子たちのレベルを超えない範囲で、やった方が後々良いのではないか。経験の積み重ねがないと、できないどころか、意識できないんじゃないかな」

=2016/05/22付 西日本新聞朝刊(教育面)=

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