現場から2016参院選(6) 有明海再生、タイラギが戻る日まで

西日本新聞

 太良町大浦地区の国道207号沿い。建物の屋上に潜水服姿の漁師の人形看板が立つ。側面には「もぐり発祥の地」の文字も。ここは国営諫早湾干拓事業に反対していた元タイラギ漁師の川下武則さん(61)が「仲間の雇用の場をつくろう」と、1992年に創業した川武潜水興業の社屋だ。

 看板は手に初めはタイラギを握っていたが、今はワタリガニに変わっている。従業員約50人。港湾工事を請け負い、東日本大震災後は東北の海で行方不明者の捜索に12人が当たった。

 「宮城県に震災2日後から20日間滞在し、8、9人のご遺体を引き揚げた。遺族の思いを痛感した」と川下さんは振り返る。

 今春入社した山本敏孝さんは51歳。43歳までタイラギ漁に励み、大震災後は福島県内の港湾工事に3年連続で汗を流した。それでも「やはり有明海で漁に腕を奮いたい」と願う。

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 「有明海を再生するには諫早湾干拓の潮受け堤防を開門するしかない」と、県有明海漁協大浦支所運営委員長の竹島好道さん(73)は確信している。20歳でタイラギ漁を始め、海底の変化を見続けてきたからだ。

 支所内のタイラギ漁獲量は最盛期の60年度に約3146トンあり「海底はまるで花畑のようだった」。それが諫早湾干拓工事が本格化した90年度に410トン、潮受け堤防を閉め切った97年度には97トンに激減した。そして99年度はゼロ-。今年も12年度から戦後最長の4季連続休漁が続く。

 組合員数も80年の404人をピークに225人に減った。元組合員には潜水技術を生かして港湾工事に当たる人もいる。「でも、このままでは潜水漁業は断たれてしまう。堪えられん」。竹島さんは唇をかむ。

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 10日、梅雨の合間に太陽がのぞいた太良町の道越漁港。タイラギ漁師の平方宣清(のぶきよ)さん(64)は、漁師仲間と愛船「宣栄丸」の船底に赤い塗料を塗った。塗れば船底にフジツボやカキが付着せず、燃費の低下も防ぐ。毎年の大事な作業だ。

 「来季はタイラギ漁ができますように」。平方さんは手を合わせて必ず願う。だが、6年前から願いは実現していない。

 漁を始めた70年代は「毎日が祭りのようだった」という。約250隻の船が出港。「サブちゃん(北島三郎さん)の演歌を大音量で流して漁場に向かう船もありました。甲板からあふれるほどにタイラギの収穫があり、港はまさにゴールドラッシュ」

 だが、有明海の異変ととともにタイラギは姿を消した。因果関係は不明だが、諫早湾干拓事業や筑後大堰(おおぜき)など、公共事業の影響とする諸説がある。

 平方さんも求める諫早湾の開門は、命じる福岡高裁判決が2010年に確定した一方、干拓地の営農者が求めた開門差し止め訴訟で長崎地裁が13年に開門を認めない仮処分を決定。相反する司法判断が壁となり、見通しは立っていない。

 漁師が国を相手に「宝の海を返せ」と2002年に有明海再生の訴訟を起こして、もう14年がたつ。

=2016/06/20付 西日本新聞朝刊=

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