民謡編<294>子守唄(1)

西日本新聞

 〈おろろん ころろん 子がなくばい 泣かせちゃおくまい 乳飲ましゅ 泣かするほどなら 守りゃいらぬ ねんねん ねんねん ねんねんばい〉

 福岡県八女市矢部村の民謡を伝承する会の山口昌世が哀愁を帯びた旋律を歌い始めた。これは矢部地方に伝わる「矢部の子守唄(うた)」である。さらに、歌は続く。

 〈ねんねした子の可愛(かわ)いさむぞさ ヨイヨイ おずで泣く子の面(つら)憎さ ヨイヨイ〉

 〈師走十三日の 日の暮れにゃ ヨイヨイ うちの父(とと)さんが 呼びに来る ヨイヨイ〉

 〈ヨイヨイ〉は、はやし言葉のようだが、ここはカタカナより「よいよい」とひらがな書きの方がぴったりとくる。山口は言った。

 「このヨイヨイは赤子をあやすような情感がこもっています。ヨイヨイのところが胸に入ってきてこの子守唄を伝承していこうと思いました」

   ×    ×

 『日本のわらべ歌全集』では子守唄を遊ばせ唄、寝させ唄、守り子唄の三つに分類している。遊ばせ唄は幼児や赤子を遊ばせるもので、「寝させ唄」は眠りに誘い、守り子唄は子守の人の心情を歌い込んだものだ。「矢部の子守唄」は寝させ唄としてだけではなく、守り子唄の要素も盛り込まれている。

 「矢部の子守唄」はいつごろ生まれたかはわからない。会の栗原敏彰(81)は推論を語った。

 「多分、茶摘みで出稼ぎに来ていた天草地方(熊本県)の人が伝えたのではないでしょうか」

 栗原自身、実際に祖母がこの子守唄を歌っていたことを記憶している。ただ、祖母は職業としての子守ではなく、母親時代、子に聞かせた経験の伝承であろう。

 栗原は職業としての子守は「昭和20年代ごろまで矢部村にいました」と言う。特に茶摘み、田植えの農繁期には子守を必要とした。

 「主に親戚の少女が来て、住み込みながら赤子、幼児の面倒を見ていたようです」

 乳飲み子も大きくなれば子守は不要になる。また、農繁期の季節労働でもあり、短い期間だったようだ。『福岡県のわらべ歌』によれば昭和初期、矢部村の大人の日当が約30銭で住み込みの子守は年間約5円だった、という。生活費を稼ぐというよりいわば口減らしのための奉公だった。

 歌の中にあるように寝た子の顔は可愛いが、〈おずで(目覚めて)〉泣く子顔は憎い。毎日、忍耐の日々。奉公人が実家に帰れる休日である藪(やぶ)入り-〈師走十三日〉だけを待っている。盆、正月、それも2、3日のわずかな休日だった。

 こういった子守唄の数は全国で1万以上とも言われている。 =敬称略

 (田代俊一郎)


=2016/06/27付 西日本新聞夕刊=

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