民謡編<296>子守唄(3)

西日本新聞

 「歌は旅する」と言われるように、マスメディアのなかった江戸時代は人の口によって民謡は運ばれ、地方に根付いていった。歌は「荷物にならないお土産」であった。

 例えば大旅行ブームになったお伊勢参りの旅人は、現地の伊勢音頭を覚えて故郷に持ち帰った。北九州市八幡西区木屋瀬の「宿場踊り」や「博多祝い節」(祝い目出度)など伊勢音頭を元にした民謡は全国各地に20以上も定着している。伊勢音頭と同じように子守唄(うた)も旅した。

 〈ねんねんころりよ おころりよ 坊やはよい子だ ねんねしな〉

 これは子守唄のルーツといわれる江戸の子守唄のさわりの部分である。

 ねんねんは寝るという意味の赤ちゃんことばだ。さわりは「坊やはいい子だから静かに寝なさい」との意味になる。また、〈ねんねんころりよ〉は調子を整えるまじないめいたはやし言葉の要素も持っている。

 福岡県八女市の矢部の子守唄を連載の中で紹介した。歌詞の中には〈ねんねん ねんねん ねんねんばい〉とある。〈ばい〉と九州弁になっているが、これも江戸の子守唄のバリエーションだ。江戸の子守唄は、方言など各地の土着性が加味され、その土地に広がっていく。

 NPO法人「日本子守唄協会」の理事長、西舘好子は自著「『子守唄』の謎」の中で江戸子守唄の類歌は「全国で3000近くもみられます」と記している。そこに共通するキーワードは〈ねんねん〉である。西舘は日本だけでなく、世界の子守唄の調査もしている。

 「どこの国の子守唄も現地の言語でねんねん、と言った意味の言葉が入っています」

   ×    ×

 江戸の子守唄はどのように地方へ伝播(でんぱ)したのだろうか。西舘は次のよう語る。

 「参勤交代の制度が子守唄の普及に一役買ったと思います」

 各藩の江戸に向かう参勤交代はまさに大移動だった。参勤交代に参列した藩士は江戸で滞在中に流行していた子守唄を耳にした。それを郷里に持ち帰った。伊勢音頭と同じように、ご当地ソングだった江戸の子守唄は武士のお土産になった。それがさらに庶民の間に拡大していった。

 〈ねんねんの子守は どこへ行った あの山こえて 里に行った〉

 江戸の子守唄には子守女性が里帰りしたことも盛り込まれている。すでにこの時代から商家などに奉公して子守をする労働者も生まれていたことを示している。歌う主体は母親だけでなく、子守女性もいたことも子守唄の類歌の多さにつながっていた。 =敬称略

 (田代俊一郎)


=2016/07/11付 西日本新聞夕刊=

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