災害に学ぶ(4)玄界島 福岡沖地震から11年

西日本新聞

 福岡沖地震があった3月20日、福岡市西区の玄界島では、その翌年から始まった全島避難訓練が今年もあった。参加者は島民の4割に当たる197人。避難所の小中学校につながる住宅地前の路上に立ち、島民たちを避難誘導したのは玄界中学3年の守永琉聖(りゅうせい)さん(14)だった。

 「高齢者が多い島では、素早く動ける中学生が頼りにされている。島を少しでも守れたらいいなと」

 玄界中の生徒全員でつくる防災組織「BGFC」(少年少女消防クラブ)の隊長。島に同級生はいない。「何かあったら自分が引っ張っていかないと」

 消火活動、心肺蘇生、着衣水泳…。学校や地域の行事で、生徒たちは災害を想定したさまざまな訓練を積む。1学期は既に2回。2学期にも訓練を重ね、学年末にある全島避難訓練が集大成となる。

 玄界中は本年度から、玄界小を含めた小中一貫型の防災教育カリキュラムづくりに力を注ぐ。数カ月に1度の行事だけでは防災意識が根付きにくいため、地震津波の歴史や災害への備えについて学ぶ時間を、総合学習や各教科の中に盛り込む。小学校と中学校の壁を除く「小中一貫教育」を、防災教育にも取り入れようとする試みだ。

 着任して4年の横山順一校長は「中学生は避難する側ではなくて動く側。震災を経験した島だからこそ、防災教育を市内トップまで高めたい」と話す。

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 中学生を防災の主役にしようとする背景には、島ならではの事情がある。

 基幹産業は漁業で、男たちは夏のこの時期、アナゴ、イサキ、アマダイなどの漁に追われて島を空ける。多くは半日だが、3~4泊の日程で漁に出ることも珍しくない。島に高校はないため、昼間も島にいる中学生が重要な存在となる。

 男が不在がちな島の防災はこれまで、母親たちでつくる女性自衛消防隊防火クラブ(14人)が担ってきた。災害時には実動部隊となり、子どもたちの防災教育にも家々で当たるが、主婦で隊長の寺田あすかさん(37)は「防災の知識や技術ばかりでなく、中学生が地域の実情を学び、世代を超えて交流を深めることで、より島の防災力は高まる」と話す。

 東日本大震災(2011年)では「釜石の奇跡」と語り継がれる教訓がある。岩手県釜石市の中学校は「助けられる側から助ける側へ」を合言葉に防災教育に取り組み、近隣の小学生らと一緒に避難。中学生の臨機応変な判断と行動が、被害を最小限に食い止めたとされる。

 地震発生の前年から今春まで自治会長を務めた上田永(ながし)さん(85)も「これまで『自分の身は自分で守れ』としきりに訴えてきた。これからは、島の歴史と教訓を次世代が語り継ぎ、行動してほしい」と期待する。

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 福岡沖地震から11年がたち、中学生にとって地震の記憶はおぼろ。小学生の多くは地震後に生まれた。島の防災教育を転換させようとする要因は、各地で相次ぐ震災であり、世代交代の波でもある。

 玄界島の経験を踏まえ、福岡市も本年度から、中学生を地域防災の担い手として育成する「中学生の防災力アップ事業」を始めた。地震だけでなく、浸水や土砂崩れなど地域の実情に応じた内容を学んでいく予定で、市防災危機管理課は「中学生が地域防災に関わることは、保護者への啓発にもなり、地域全体の防災力強化につながる」と説明する。

 「自分がやるべきことをちゃんとこなし、みんなの息を合わせんと魚は取れん。防災も同じ。一つにまとまることが大切」。玄界島で高校入学を目前に被災し、市中心部での避難生活を経て漁師となった久保田健嗣さん(26)はそう話す。

 島国日本のミニモデルでもある玄界島。そこには震災の教訓を今に生かそうと、模索を続ける人々の姿があった。

 福岡沖地震と玄界島

 2005年3月20日午前10時53分、玄界灘の警固断層帯を震源とするマグニチュード(M)7・0の地震が発生。福岡県と佐賀県で最大震度6弱を記録し、1人が死亡、約1200人が重軽傷を負った。震源に近い玄界島では傾斜地に密集していた家屋の7割が全半壊し、19人が重軽傷。市中心部と島内に仮設住宅が建てられ、島民は避難生活を強いられた。08年3月25日に希望者全員が帰島した。

=2016/07/24付 西日本新聞朝刊教育面=

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