民謡編<298>子守唄(5)
雇い主である御寮(ごりょん)さんを揶揄(やゆ)、風刺する博多の子守唄(うた)は作詞家がはっきりとした、大正時代に生まれた新子守唄だ。実際に子守の現場では歌われることのなかった座敷歌である。
福岡県久留米市の民謡研究家、友野晃一郎の労作「福岡のわらべ歌」(日本わらべ歌全集23上)では次のように記している。
「子守歌が転じてお座敷歌(民謡)としてうたわれるのはこの『博多の子守歌』が最初であり、このことから、この子守歌は独特な位置をしめる」
さらに、友野は博多だけでなく「大正末期から昭和の初めにかけて一気に県下に広まったようである」とも書く。その例の一つとして同県岡垣町の子守唄を挙げ、その土地で新しく付加された歌詞も採集している。
〈家の御寮さんな 位(くらい)がござる 何の位か 飯(めし)食(く)らい〉
博多の子守唄はご当地ソングの「はやり歌」として、座敷で覚えた客たちが持ち帰り、広まっていったといえるかもしれない。
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博多の子守唄には原型があった。下敷きにされたのは大正時代以前に歌われていた元祖博多の子守唄である。
〈雨の降る日の 日の暮れ方は 守はつらいし 子は泣くし ヨーイヨイ〉
〈雨の降る日の子守はなんぎ となり近所の 軒の下〉
こちらは子守のつらさを嘆く、哀切な調子である。そのゆっくりとしたブルース的な調子は博多港で荷揚げ作業に従事した労働者の「荷揚げ唄」が元になっている、との指摘もある。一方で、歌謡研究家の長田暁二は「糸島方面の子守唄が元歌になっている」との見方だ。同県糸島市二丈には子守唄「守りはいやよ」が伝わっている。
〈ととさんかかさん 守りはいやよ 雨の降る日も 出にゃならぬ ヨイヨイ〉
〈雨の降る日と 日の暮れ方は 家の恋しさ 帰りたさ〉
〈家の恋しさも かかさん頼り 今日は何して ござるやら〉
奉公先から家、両親の元に帰りたい子守女性の心情が切なく歌い込まれている。
博多と糸島地方の子守唄は歌詞、情感も非常に似ている。本来、糸島地方で歌われていた子守唄を子守女性が奉公先の博多に持ち込んだのか。また、逆に奉公先の博多で覚えた歌が糸島地方でも定着したのか。
一つ構図として浮かび上がるのは博多-糸島の関係だ。つまり、博多の商家に奉公する農村部の子守女性という地縁の深さを博多の子守唄の中に見いだすことができる。 =敬称略
(田代俊一郎)
=2016/08/01付 西日本新聞夕刊=